趣味で集めている陶磁器の中に、文様に彩られたものが極端に少ないことに最近、気が付いた。
 心の奥底に「装飾を取り払った『素』が一番」という思いがあるのかもしれない。時代をへて古色を帯び、味があるならなおいい。
 器自体の未熟さをカバーしたり、器の存在をことさらに顕示したり。そんな文様の「負」の一面が苦手なのかもしれない。
 「無文好き」が毎日、パソコンのまっさらな画面に向かって、文章のあやに頭を痛めながら、社説やコラムを書いているのは皮肉と言えば、皮肉だ。
 「分かりやすく」を「作風」にしているけれども、これが難しい。政治、社会、経済どれを取ってもややこしい事が多すぎる。どうやったら読者に理解してもらえるか。いや応なしに修辞に知恵を絞る。
 比喩を使って身近な物に例えてみる。繰り返しや省略でリズムを刻み、列挙や対比によってエッジを利かせる。時には破調も。
 試行錯誤の末に出来上がったものは文様過多で、自分の理想とは程遠い。染みがにじむ李朝白磁のつぼを眺めながら、いつかはその姿に近づきたいと願う。(論説委員長 原谷守)