東日本大震災の発生から6年半が過ぎた。被災3県と異なり、山形では震災報道に触れる機会がめっきり少なくなった。隣県でもこんな感じだから、被災地から離れれば離れるほど、節目報道を見逃すと、被災地は復興を遂げたと勘違いする人がいるかもしれない。
 そう危惧するのは、十数年前の反省があるからだ。当時、東京支社編集部に在籍し国会記者会館に詰めていた。記者室の隣席は熊本日日新聞。ある日、熊日の記者が電話取材をしていた。口調には緊張感が漂い、熱を帯びると熊本弁が交じる。どうも相手は水俣病の原因企業のチッソらしい。
 取材が一息ついたのを見計らって、何の気なしに「今も水俣病の取材をしてるの?」と声を掛けた。熊日の記者は複雑な表情で答えた。「被害者の苦悩は続いています。全国的には関心を持たれていませんが…」
 水俣病は過去の話だと思い込んでいた。報道こそ少なかったが、公式確認から半世紀がたった当時も、約900人が患者認定を求めて提訴するなど、解決には程遠い状況だった。被害者が知ったら、傷つけただろう自らの浅はかさを悔いたことを思い出す。(山形総局副総局長 須藤宣毅)