紙面を見て、取材の記憶が呼び覚まされた。1947年9月のカスリン台風の被災地、一関市で開かれたフォーラムの記事だ。
 台風による水害から半世紀の97年に一関支局で連載を担当し、体験者の証言を紹介した。48年9月のアイオン台風と合わせた一関市の犠牲者は573人。家を奪われ、弟らを助けられなかった苦悩を語る男性、昨日の事のように涙をこぼしながら惨状を振り返る女性。癒えない心の傷を抱えていた。
 その中で、発生から50年になっても話せないという人が少なくなかった。「周りに迷惑が掛かる」「おふくろが生きているうちは思い出させたくない」。ある体験者は「できることなら、全てを忘れたい」とつぶやいた。
 教訓を後世に継ぐため、災禍の記憶を決して忘れてはいけない。ただ、忘れたい悲しみもある。向き合い方は一人一人それぞれ。そう教えられた気がする。
 東日本大震災から6年半が過ぎ、関連記事がデスク席に届く。一つのニュースの陰に、今も打ち明けられない多くの思いがある。「それだけは忘れまい」と自分に言い聞かせている。(報道部次長 沼田雅佳)