どこか懐かしさを覚える顔が並ぶ。裕福そうには見えない長屋暮らし。それでも巨大な煙突の下、人情味あふれる生活が写真の中に生き続けている。
 鉛や亜鉛を産出した細倉鉱山(栗原市鶯沢)は国内有数のヤマだった。閉山で変貌する街を写真に記録した一人の女性がいる。地元の寺崎英子さんだ。
 突き動かしたのは古里への情だろうか。「もうすぐ決まる。いやだな閉山なんて」。1987年の閉山直前、撮影ノートに書いた。子どもの頃に脊椎カリエスを患い、障害の残る体で慣れないカメラを手に撮影して回った。
 ファインダーの向こうに捉えたのは、ヤマの日々の生活にとどまらない。住む人がいなくなって重機で解体される長屋や、鉱山の跡地に生い茂る雑草も。
 「ある程度撮ったら終わるかなと思ったのね。でも終わりませんね。人がいなくなっても、植物が生きているのね」
 75歳で昨年亡くなった寺崎さんの回顧展が、せんだいメディアテーク(仙台市青葉区)で開かれている。写真の数々を見ていたら、「愛(まな)ざし」という言葉が心に浮かんだ。
(写真部次長 佐々木浩明)