仙台出身の軍人と言えば、今村均(陸軍大将)、井上成美(しげよし)(海軍大将)が有名だ。どちらも旧日本軍においては「良識派」とされる。もう一人、歴史に埋もれていた知将がいたことを『多田駿(はやお)伝』(岩井秀一郎著)に教えられた。
 多田(陸軍大将)は1882年、郵便局に勤務していた元仙台藩士の長男として生まれた。日本が侵攻していた中国に14年間在勤、真の「中国通」として知られた。実情を熟知するだけに日中戦争の拡大に一貫して反対論を唱えた。
 真価を問われたのが、1938年の大本営政府連絡会議。中国との和平交渉を継続するのか、打ち切って戦争を続けるのか、最終判断を決める岐路だった。
 参謀次長の多田は、日中間で戦争をすることが両国民にいかに不幸なことかを訴え、涙ながらに日中和平を主張したという。結局は強硬派に押し切られ、戦争は泥沼化し日米開戦につながっていく。
 <すべて人間は、人間本位、自分本位、自国本位のみを起点として思考し過失を犯す>。「何とかファースト」全盛の今、多田が残した言葉をかみしめたい。