俳人正岡子規に『夏の夜の音』というエッセーがある。東京の、ある家の奥の間に伏せりながら、耳に届く物音を頼りに日常風景を細かく記している。
 北側の家の住民が茶わんを洗っているだの、短い汽車が通っただの、南の家で行水が始まっただの。夜中に表戸を激しくたたく音で目覚めると、それは新聞配達人で、人を起こして<不着の言訳(いいわけ)をするのであつた>とある。明治時代はそんなことがあったのだろうか。
 とりわけ生き生きとしているのが子どもたちの様子。ねずみ花火を終えると、板の間で足拍子を取りながら唱歌を歌いだす。やがて<軽業の口上>になり<終(つい)に総笑ひとなつた>。市井の音には、暮らしの気配がたっぷりとあった。
 あすは金曜日だが「山の日」で祝日。お盆を故郷で過ごす人の帰省がピークになる。孫の到着を楽しみにしている人も多いだろう。明るくてにぎやかな音が、東北にもあふれる。祭りばやしや風鈴の音がうるさいと、苦情のくる世知辛い世の中だが、隣近所の「総笑ひ」に、ひとときの幸せを見たいものである。