鎌倉時代の名僧、慈円による史論書『愚管抄』や、その解説書が最近、関心を持たれているらしい。「全ての出来事は必然であり、個人の主観を超えた道理として存在する」。そんな思想に基づく歴史観だ▼あの震災も、いまだに3万数千世帯の仮設住宅で暮らす人々がいるのも歴史の必然だとは認め難い。ただ、そう考えた方がつらい現実と対決しなくて済む。多くの遺族や被災者は前を向き懸命に生きているが、時折弱い自分にも出くわす▼「広く深い視点で物事を捉えよ」と、愚管抄の趣意をくむこともできる。思うように生活再建が進まない現実、遺族が経てきた長い時間の意味について多くの人が考察、発言している▼詩人の和合亮一さんは「違和感を同じように訴えても、砂の中にまた埋もれてしまうだけ。自分なりの方法で一度掘り起こしてみる時」と言う。変わらない現実には、まず自分が変わること。そう示唆する▼東北学院大の金菱清教授は遺族に書いてもらった「亡き人への手紙」を例に取る。「死別の時で止まったままの時間と、現実に進んだ時間のはざまで苦しんでいる。6年たって、その重さに気付かされた」。震災体験に終わりはない。ならば、目をそらさずに向き合っていたい。「成るように成る」ではやはり寂しい。(2017.3.10)