福島県矢祭町の元町長根本良一さん(79)は、2001年の「合併しない宣言」以来、徹底した行財政改革を断行し地方自治の可能性を世に示した人物だ。先日、東日本大震災の後に何を考えていたのか尋ねる機会があった▼「放射能に汚染された福島県浜通りでは、子どものために、泣く泣く県外へ避難する家族が多かった」と、根本さんは語り始めた。地形などの関係で、矢祭町はひどい汚染を免れた。そこで思い付いたという。「町内に広大なゴルフ場跡地がある。沿岸自治体の機能と避難者をここに受け入れよう」▼遊休地を街に変え、県外避難を解消する。国を巻き込んでの大事業になる。「矢祭に、第2飯舘村や第2大熊町をつくるんだ」と県の要路に構想を説明し、町には具体化を急ぐよう働き掛けた。ところが…▼町は「できない理由」を並べた。県は矢祭町が放射性廃棄物を受け入れてくれると勘違いした。「どこで話がねじ曲がって伝わったのか、県庁に行くと、部長級が腰を折って感謝するんだ。皆、疲れていたんだな」▼根本さんが町長の職を退いたのは07年。「現役だったら、若い人のため、何としてでもやり遂げていた」。児童生徒に対する避難先でのいじめに、胸を痛めることもなかったか。何とも惜しい「大風呂敷」であった。(2017.6.18)