「境」という地名が気仙沼市の大島にある。太平洋に面した小田の浜と、約1キロ離れた気仙沼湾の浅根漁港の間の低地。昔大島は大津波で三分されたとの伝承があり、「津波の合流地点の一つで、島の境目になったのでそう呼ばれたそうだ」と堺健(まさる)さん(67)▼大島で31人が犠牲になった6年前の東日本大震災で、津波は両岸から浸入し、島をほぼ三つに分断した。「境」では津波が合流間際まで迫った。「言い伝えは本当だった。先祖が地名に残したと考えている。記憶を発掘し伝える役目が今のわれわれの代にある」▼旅館業の傍ら、仲間の郷土史研究者や歴史の専門家と大島に根差した「減災教育の教科書」という冊子をまとめた。過去の津波にまつわる記憶や伝承を語ったのは、大正から昭和初めに生まれた高齢者たち▼「竹の下」という地名もある。元は「鯛(たい)の下」で、やはり昔の津波でタイが大木に引っかかったのがいわれ。避難した人々が暖を取ったという「休石(やすみそ)」、鯨が流れ寄った「鯨」。舟が多く打ち上げられた「舟こぼれ」には6年前の津波の際、連絡船が流されてきた▼冊子は住民や小中学生、訪問客や支援者に無償で配られている。「防潮堤建設で防災が終わりでなく、大島を未来に残そうと願う一人一人が語り部を継いでほしい」(2017.7.30)