「哀れ、貧故の自殺」「涙と共に出かせぐ女性群」「お辨當(べんとう)なき児童 岩手縣(けん)下に八千名」「東北の地に雪訪れて 飢寒に泣く窮民」「歳末を控へて激増の要救護者」。1934(昭和9)年の秋から冬、本紙が報じた東北大凶作だ▼仙台で26日まで36日間という観測史上1位の長雨が続いたが、以前の最長記録が35日間。冒頭の惨状があった83年前だ。この年も異常低温で、東北の約600の市町村でコメが半作以下になった▼「サムサノナツハオロオロアルキ」。宮沢賢治が「雨ニモマケズ」にこう記した31年から大凶作は続いた。昭和恐慌で生糸も暴落し、重い小作料にあえぐ農村で娘身売りが頻発。「青森県農地改革史」には、34年に「芸娼妓(げいしょうぎ)に売られた者は累計7083人」とある▼今夏の長雨で野菜は値上がりしたが、83年前の窮状を憂える人はおるまい。戦後、稲の耐冷品種開発や農業技術の革新が進んだ。34年の大凶作の後、6県の官民を挙げた「東北調査会」が、東北の救済、振興へと国を動かしたことが歴史的な端緒になった▼その2年後の36年に起きたのが二・二六事件。「東北の農村を救え」を一つの旗印に青年将校らが決起した。農村の災害が戦争への歯車を動かしたといえるが、それらの再来を防ぐ経験の知恵が現代にはある。