福島県大熊町、双葉町にまたがる東京電力福島第1原発の敷地はかつて、旧日本軍の飛行場だった。72回目の終戦の日を前にした8月上旬、駐車場の拡張工事で不発弾が見つかり、国策に翻弄(ほんろう)された地域の歴史を改めて浮き彫りにした▼旧陸軍の「磐城飛行場」は日中戦争が拡大していた1940年に着工。予定地にあった農家11戸が立ち退かされた。造成工事はもっぱらトロッコやスコップを使った人力作業。地元住民も勤労奉仕として突貫工事に従事した▼「赤トンボ」と呼ばれた練習機が配備され、敗色が濃くなると特攻隊の訓練が繰り返された。終戦間際の45年8月9、10日に米軍空母艦載機が襲来。飛行場を攻撃した米軍機は周辺の町村を無差別に襲い、住民に多くの死傷者が出た▼戦後、西武グループ創設者の堤康次郎が率いた国土計画興業の塩田が造られたが、経営難で閉鎖。残された広大な原っぱが、71年に運転を始める第1原発の建設地となった。史実を伝える石碑が、原発事故で増え続ける汚染水タンクに囲まれて立つ▼事故から6年半が過ぎた。タンクにたまるトリチウム水の処理はめどが立たず、最難関となる溶融燃料(燃料デブリ)の取り出しは方針が固まったばかりだ。廃炉を完遂し、「終戦」に持ち込めるのはいつの日か。(2017.9.12)