藩の苛政に憤る農民が、むしろ旗を掲げて役所に押しかける。時代劇の一揆の場面だが、実際、江戸期にそんな実力行使はほぼ消え、人々は知識を蓄えて訴訟で紛争を解決した。その教科書もあり、東北で流布したのが羽前白岩郷(現山形県西川町など)の訴状だった▼白岩状、白岩目安という。事件は1633(寛永10)年にあった。領主の過酷な年貢取り立て、悪行を農民たちが江戸に上って訴え、幕府が訴状を証拠と認めて領主を更迭した。が、問題は収まらず、指導者ら30人が処刑された▼理路整然と事実を説く訴状の力、農民の勝利体験、「義民」を語り継ごうとする地元の意思が、訴状そのものを読み書きの教科書として子孫に伝えたという。八鍬(やくわ)友広東北大教育学部教授(57)が長年の研究を新著『闘いを記憶する百姓たち』(吉川弘文館)にまとめた▼「寺子屋などの民間教育が興隆し、主なる手本が往来物(手紙)。源義経の『腰越状』など有名な手紙、訴状でした」。白岩状は書き写されて東北に広まった▼啓発された農民の訴状も当時の岩手、福島で書かれ、それらも流布した。「江戸期は証拠主義の訴訟の時代。その知識を、農民の指導者たちはムラを守る武器として学んだ。むしろ旗のイメージとは違う近世の東北像を知ってほしい」(2017.11.18)