<「畢(おわり)」、猶(なお) 「華(はな)」の面影宿すかな>。詩人、故吉野弘さん(酒田市出身)の『畢』という題の作品である。ほんの2行の詩だが、時や歳月の流れに無常観をみる人もいるのではないか▼大みそかを迎えた。どんな年だっただろう。咲き誇る花に包まれるような感激をまだ胸の奥にしまい込んでいますか。それとも心の中で枯れ木に風が吹きすさんでいますか。人それぞれである。良くも悪くも、きょうはゆっくりと過ぎし日の面影を追いたい▼吉野さんは随筆集『酔生夢詩(すいせいむし)』で『畢』の詩作過程を明かしている。最初は<もう畢(おわ)りですが、少し前までは華だったような気がします>と書いた。その後の推敲(すいこう)によって華は<探し求められ>、<捨てきれないもの>となり、結局<宿すかな>とした。諦めから前向きへ。心模様の移り変わりがよく分かる▼どこか東日本大震災の被災地に通じるところがある。さまざまな思い出は間違いなく宝物であったものの、その痕跡が年々きれいに更地となって消える。復興とは散った花びらをそこに見いだしていく作業に似ていないか▼終わりがあれば始まる。今夕沈む太陽は夜の闇をもたらし、明朝「初日の出」となって現れる。華は、そう希望である。苦しかったことも、つらかったことも、明くる年の光となる。(2017.12.31)