戊辰戦争で集団自刃した白虎隊19士が眠る飯盛山(会津若松市)に登ると、仲間外れのように離れて飯沼貞雄(旧名貞吉)の墓がある。共に自決を試みるも死にきれず、複雑な感情を持ちながら生きた人である▼維新後は白虎隊自刃の情報が素早く世間に伝わったすごさに驚き、電信技師養成所へ。1909(明治42)年には仙台逓信管理局工務部長に就任し、31年に76歳で亡くなるまで仙台で暮らした。平成に入って、孫が預かる遺品の中から直筆書の「白虎隊顛末(てんまつ)略記」が見つかった▼「心」に「耳」を寄せて「恥」の字になる。元白虎隊士は生涯で聞くに堪えないほどの非難をきっと耳にしたに違いない。だが、その逆境に意味を見いだし「時代の証人」になった。生き延びたからこそ、仲間のこと、戦のこと、会津藩のことが後世に伝わった▼正月三が日、過去を振り返り、未来を見つめる時間も多かろう。挫折や失敗は付きものであり、そのとき飯沼のように再出発ができたら、と思う。勤め先や学校、地域で自分の生かし方はいくらでもある▼今年は戊辰戦争からちょうど150年。後に飯沼は「孤虎」と号し<過ぎし世は夢か現(うつつ)か白雲の空にうかべる心地こそすれ>と詠んだ。奥羽越列藩同盟の諸藩はあの敗戦を現代へどう糧としてきたのだろうか。(2018.1.3)