戦争が終わり、約2カ月にすぎない1945年10月、石巻市で戦後初の日米野球が開かれた。地元の野球チーム「日和倶楽部(くらぶ)」と米国進駐軍との一戦。大リーガーも出場した交流試合は戦後復興への希望とも重なり、市民の語り草となっている▼開催を後押ししたのが、日和倶楽部の投手でプロ野球阪神タイガースのエースだった若林忠志さん(1908~65年)。妻の実家がある石巻に疎開していた。若林さんは米ハワイ出身の日系2世。母校マッキンレー高校のマスコットが虎で、阪神の虎マークの原点となった▼ハワイと石巻は深いゆかりがある。日本からのハワイ移民は1868年、横浜港から渡った約150人が先駆け。明治元年に当たり、彼らは後に「元年者(がんねんもの)」と呼ばれた。元締として移民団をまとめたのが、石巻出身の牧野富三郎という人物だった▼富三郎はハワイで、過酷な環境で働く渡航者の待遇改善に尽くした。ハワイ宮城県人会の荒了寛会長(89)は「富三郎は移民の父とされるが、宮城県では知名度が低くて残念」と話す。県人会では顕彰する機運が高まっているという▼古里石巻では有志らが彼の業績を見つめ直し、ハワイと交流する動きが出てきた。今年は初の移民から150年。ハワイと石巻の「交流元年」となればいい。(2018.1.21)