春は豊穣(ほうじょう)を祈り、秋は収穫を感謝する。農耕民族の日本人は作物を育てる太陽に、自分たちを守る先祖に、そして自然界に祈りをささげた。「日願(ひがん)」である。一説によると、これが仏教の説く悟りの境地と融合し「彼岸」になった▼作家の尾崎一雄に『美しい墓地からの眺め』という小説がある。重い病にかかる50歳男性が墓の前に立ち、周りを見渡す。やがて<心につながるもの、目につながるものの一切が(中略)愛惜の対象となる>。「生」に目覚め、墓地が希望を見いだす所として描かれている▼きのうは彼岸の中日だった。各地の寺は24日まで供花(くげ)や線香を手向ける人の姿が見られる。亡き人の面影に歳月を重ねて手を合わせる寂しさはいかばかりだろう。それでも尾崎の小説のように<俺は、今生きて、ここに、こうしている>と思いたい▼墓地の周辺に目をやれば、梅やマンサク、ロウバイが咲き、桜もつぼみを膨らませている。ふと山形県の民謡『新庄節』を思い出す。〓花が咲いたと都の便り/こちら雪だと返す文(ふみ)…。花は嵐に耐えてでもきっと咲く▼東北にとって弥生は鎮魂の月である。三寒四温の空模様と同じく、人は山も谷も経て少しずつ前へ進んでいる。そのうち天国の故人に便りを書こうか。「ようやくこちらも花見だ」と。(2018.3.22)

(注)〓は庵点(いおりてん)。歌記号。