多数に向けて発信される新聞は、たった一人の心を目がけて放たれた矢でもあると知った。
 「ひとりじゃないよ」。3日朝刊から連載されたコラムのタイトルだ。副題は「いじめ-君たちへのメッセージ」。さとう宗幸さんをはじめ、東北にゆかりのある識者が続々と子どもたちへ励ましの言葉を寄せた。
 4月26日、仙台市折立中の男子生徒が自ら命を絶った。わずか2年7カ月の間に3人もの市立中学生がいじめを苦に自死するという、看過できない異常事態に本紙が反応した。このコラムを連日掲載とした判断を評価したい。
 「あなたを助ける大人は必ずいる」という呼び掛けは、私たち大人の胸にこそ火をともす。コラムは14回で終了したが、子どもが安心して育ち学べる環境づくりに向けて、社会を挙げての取り組みはこれからだ。
 3人自死の背景が次々と明らかにされる中、10日朝刊の社説「危機管理の意識が足りない」では、検証と防止策が生かしきれていないと、語気強く指摘。23日の社説「体罰が引き金なら許されぬ」は、学校の統治機能や体質そのものに疑問を呈した。この問題をゆるがせにはしないという、本紙の強い決意を感じた。

 昨年11月、宮城県立こども病院に入院中の男児の口と鼻を手でふさいで殺そうとしたとして、母親が逮捕される痛ましい事件があった。18日夕刊、19日朝刊社会面で、仙台地裁での初公判の内容が報じられた。「難病幼児殺害未遂」。身を切られるような見出しが、事件の本質を簡明に伝えた。「自分の手で楽にしてやりたいと考えた」「生き延びることが幸せとは思えなかった」という母親の供述が胸をえぐる。
 初公判前の14日から17日まで連載された「届かなかったSOS 難病患者と家族」を興味深く読んだ。閉塞(へいそく)感にさいなまれ、何度も死を意識した母親。病気の希少性から周囲の無理解に苦しんだ男性。支援団体「難病ネット」の会長も長男を介護し亡くした経験を持つ。いずれも貴重な声だ。
 中でも、15日の(中)「支え合い」で紹介された、一関市の千葉一歩さんの写真に感動した。彼女は市民センターの「放課後子ども教室」に週1回、指導員として通う。気管カニューレを付け車いすに乗る千葉さんが、目を閉じたまま子どもたちの輪の中心にいる。
 連載で浮かび上がったのは「理解されないこと」「孤独であること」の悲痛さと、「つながること」「支え合うこと」の可能性である。本件の裁判にとどまらず、難病患者の現状を広く知らせる、意義のある企画だった。

 人が苦境にあって生きる意味を見失いつつある時、大切なのは、必要な時に適切な支援を受けられることだ。誰しも見守りと優しさとを必要としている。親族、友人、医療スタッフ。この母子に関わってきた多くの人の心も痛みを負っただろう。報道されない彼らの傷もまた、誰かの温かい手によってケアされることを願う。