こどもの日の5日、元ゼミ生が企画するイベントを見に、家族と東松島市を訪れた。その行事は、6日朝刊宮城版に「青いコイ 天まで泳げ」の見出しで報じられた。東日本大震災の時高校生だった伊藤健人君は、津波で母、弟、祖父母を失う。彼は5歳で亡くなった弟律君が好きだった青いこいのぼりを揚げることで鎮魂としたかった。彼の希望は多くの方の温かいご支援を頂いて大きく育ち、今年は全国から1000匹以上のこいのぼりが寄せられた。
 4年間、ゼミ担当教員として彼の苦学を見ていただけに、彼を支援してくださった方々に心よりお礼を申し上げたい。本紙でも毎年この企画を扱っていただいている。本紙はまた、女川町、白石市、川崎町、大崎市など宮城県内、そして北上市、福島県浪江町など東北各地のこいのぼりにちなむイベントも報道している。震災を風化させないためにも、被災地に力強く泳ぐこいのぼりの情報を全国に発信していただきたい。

 4月下旬には、「またか…」と思わせる悲しいことがあった。今村雅弘復興相(当時)の、大震災が「東北で良かった」発言である。一部を切り取った批判は問題だが、これは全文を見ても弁解の余地がない。本紙も4月26日朝刊各面で、「被災地首長『2万人の犠牲者冒涜(ぼうとく)』」「被災者 怒り収まらず」などと大きく扱った。被災地の首長の声を集めるだけでなく、被災地で生きるわれわれ市民の生の怒りの声を丹念に報じた。
 震災復興担当の大臣がまたもや失言をしたのだが、前回の松本龍元大臣に続いて今回も九州出身大臣なのはなぜだろう。震災の苦みがまだ癒えぬ東北人である私は、戊辰戦争、多賀城にさかのぼる歴史、そして関西出身経済人による「東北熊襲(くまそ)発言」を思い出す。熊襲と蝦夷(えみし)、九州と東北、グローバル時代でも、リージョナリズムはなくならない。本紙は政局に矮小(わいしょう)化することなく、毅然(きぜん)とした報道で、社名の由来でもある「白河以北一山百文」、東北の意地を全国に打ち出してほしい。

 アレクシス・ド・トクビルは多数派世論による専制政治に警鐘を鳴らし、それをつくるのはマスコミだとした。エドマンド・バークは、マスコミを三権に匹敵する階級、権力、Fourth Estateと呼び、そこには三権分立に組み込まれた抑制機能が働かない危険性を指摘した。これに関し、5月2日朝刊社会面の本紙記事「母親に取材せず談話」に、マスコミの自浄能力と勇気を見た。
 仙台市内の男子中学生自殺のニュースに関し、生徒の母親に取材せずに某紙が談話をデジタル版に掲載したというものである。記事内容にも事実誤認があることが本紙の指摘で分かった。捏造(ねつぞう)と疑われかねない報道はマスコミへの信頼をゆるがし、ひいてはマスコミの果たすべき社会的機能を損なう可能性もある。同業者同士はなれ合い構造になりがちだが、本紙の勇気を称賛するとともに、第四権力としての矜持(きょうじ)をこれからも保っていただきたい。