アスリートたちのきらきらした表情が連日紙面を彩った今月。特に仙台出身の羽生結弦選手の扱いは、写真、見出しともに力の入れ方もひとしおだったようだ。見出しは、17日朝刊スポーツ面の「羽生劇場 開演」、18日朝刊社会面の「羽生 異次元の輝き」と、他紙と比較しても抜群のセンス、というよりYUZU愛を見せる。わが郷土の誇りが、とうとうこの地球(ほし)の至宝となった、そんな高揚感を覚えさせるほど際立っていた。
 こんな私の感動に呼応するかのように、17日夕刊の「宇宙散索」では、冬の夜空でも星々が明るさを競うオリンピックを開催中、と仙台市天文台の千田華さんの控えめな解説がピカリと光る。
 羽生選手金メダルの号外をJR仙台駅前で配るスタッフが人だかりの中で発した「おかあさん、さっきも持っていきましたよねっ」という悲鳴のような声(テレビニュースによる)さえ、めでたさを倍増するようでほほ笑ましかった。

 さて、華やかなオリンピック関連記事と並んで、キリリと心に刺さる署名記事に出会った。12日朝刊宮城版の「足報ワイド」というコラムで、石巻総局の一人の記者の率直な憂いが記されている。事実を正確・迅速に伝える報道記事と、書き手が社会への問題提起という覚悟を持って持論を展開する論評記事とのはざまでふと漏れる、記者の本音。一人の人間としての素朴な本音にこそ大切なことが潜んでいると、私は信じている。だからこのコラムがキリリと心に刺さってきたのだろう。内容は石巻市の表浜港防潮堤建設に関するもので、見出しは「総意どこに 残る違和感」となっている。
 このコラムの伏線とも言える記事が、前日11日の朝刊宮城版に「防潮堤 計画通り建設」という見出しで掲載されていた。同じ面を見て、署名コラムを執筆した記者は、女川町の中心市街地再生の歩みとこれからの課題を追った「復幸の設計図 女川・公民連携の軌跡」も手掛けていたことに気付く。当初、国からはショッピングモール構想を提示されたが、地元住民と役場が連携し猛反発。何度も衝突を繰り返しながら既存の制度を血の通った制度にすべく課題を克服してきたとある。

 既存の制度を変えていくのは途方もなく大変なことであり、何度か投げ出したくなることもあっただろう。今、女川の駅舎を出ると、目の前には真っ青な海に向かう真っすぐなプロムナードが続く。何と気持ちの良い景観だろう。この景観を未来に残すため、どれほどこの町が、町民が根気強く議論を重ねてきたのかを知ってしまった記者の目には、石巻・表浜港の防潮堤建設を巡る一連の経緯が、何ともやりきれないものとして映ったに違いない。
 22日朝刊3面では、東日本大震災後に施行された「津波防災地域づくり法」と進みつつあるまちづくりの実態との乖離(かいり)に困惑する自治体の声が取り上げられている。地域の未来に責任を持てるのは他でもないその地域であることを、記者はずっと問い続けてほしい。