春の訪れに心浮き立つはずの3月が、東北に暮らす私たちにとって重苦しい月と変容し、はや7年が過ぎた。あの日から7年間、一日たりとも欠くことなく「東日本大震災」という固有名詞を紙面に掲載し続けることになった河北新報社においても、121年の会社史上、尋常ならざる年月であったに違いない。
 7年目の3月11日の朝刊紙面は、17面から20面までの特集のスケール感に驚かされた。東北6県と首都圏を対象に民間のリサーチ会社と共同で行ったアンケートに始まり、時系列にまとめた岩手・宮城・福島の復興の歩み、そして現場で交わされた言葉でつづった石巻市大川小の50分間と、実に多様な手法、多角的な視点で東日本大震災を立体化させている。これから先も毎年、そのときどきの状況と照らし合わせて振り返るための貴重な記録としての価値がある。

 翌12日には、7年を経てようやく震災の記憶を語り始めることができた10代の子どもたち6人に照準を合わせた朝刊社会面の連載「10代 語り始める」が始まった(17日まで)。この中で6人は、震災を知らない子どもたちが増える中で、どのように「自助」「共助」の大切さを伝えていくかに悩む大人たちに大きな示唆を与えてくれた。そして、被災者という立場から再生していこうとする姿勢を、それぞれ力強く示している。
 一方、私たち大人の胸に突き刺さる言葉を発した子どもがいた。仙台短編文学賞で河北新報社賞を受賞した安堂玲さん(仙台市)の作品「あわいの花火」に登場する12歳の震災孤児晴也君である。作品の中で彼は、大人たちへの辛辣(しんらつ)な言葉で圧倒的な喪失感を吐露する。架空の人物ながら、私には7番目の子どもの偽らざる本音として聞こえた。晴也君が何を語ったか。それは、ぜひ作品の中で確認していただきたい。語り始めた10代の率直な思いを丁寧にすくい取る作業が、今こそ社会全体に求められているような気がする。

 さて、15日夕方。職場に届いた夕刊をめくる私の目が、一つの記事にくぎ付けとなった。
 <「僕の髪を」思い真っすぐ>
 仙台市の小学6年生、平寅次郎君が医療用ウィッグに提供するため3年間伸ばし続けてきた60センチもの長髪を、この春の小学校卒業を機に切るという内容である。
 思わず同僚たちに「見て見て。すごい男の子がいる」と興奮しながら紙面を見せると、ある男性同僚が「実は、うちの小学生の娘も」と語り始めたではないか。あどけないSちゃんの顔が浮かぶ。こんなにも志の高い子どもたちがいる限り、この社会はまだまだ捨てたものではないとうれしくなる。
 半年にわたった紙面センサーの最終稿を書くに当たり、紙面を通して、まさに篤志と呼ぶにふさわしい心を持った子どもたちに勇気をいただいた。大人も負けていられない。新調した名刺入れを胸に、私も36年間の国際分野の仕事に区切りを付け、大人の篤志を下支えする新しい世界に、・思い真っすぐ飛び立つこととしよう。