広島はきょう、長崎は9日、被爆から72年を迎える。鎮魂と、不戦を誓い合いたい。
 「生き地獄」の惨劇を生んだ戦争の加害、被害の歴史を直視し、核兵器という存在そのものがはらむリスクを排除できない現実とも、しっかり向き合わねばならない。
 ただ、ことしは「核の時代」の終焉(しゅうえん)に向け、重要な一歩が踏み出された。国連で7月に「核兵器禁止条約」が採択されたことである。
 広島、長崎の被爆者らが待ち望んでいた。開発、保有、使用を含め関わる行為を一切禁ずることで、核兵器を非合法化する史上初の国際法だ。その論拠は、核兵器は極め付きの非人道兵器であり「絶対悪だ」ということにある。
 批准する国が増えれば、「核は悪で違法」とのルールが、国際社会で広範に形づくられることになる。
 米英仏中ロの核保有五大国や、「核の傘」に安全保障を依存する国々は核抑止論から抜け出せず、条約に背を向ける。だが、そうした国でも「核は違法」との規範が広がり世論のうねりとなれば、国の方針をも変えかねない。
 核廃絶という山頂に至るルートが複数あるなら、禁止条約がたどり得る道は、その有力な一つになると信ずる。
 唯一の戦争被爆国・日本は、条約制定交渉の議論にすら参加しなかった。
 核保有国抜きの交渉に意味はなく、保有国と非保有国との分断を深めるというのが表向きの理由。だが、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対するためには、米国の「核の傘」を頼らなければならないからにほかならない。
 核廃絶の実現は「国是」であろう。現に国連では、日本主導の核廃絶決議が20年以上も連続して採択されている。
 その中で求めるのは、一つは核拡散防止条約(NPT)体制の強化。核保有五大国による段階的な核軍縮である。だが、米ロの対立などから、一向にらちは明かない。
 もう一つは、高濃縮ウランやプルトニウムといった兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(FMCT)の制定交渉開始を関係国に促すことだ。日本政府は、この条約と包括的核実験禁止条約(CTBT)で核兵器の質と量を厳しく制限することを、核廃絶に向かう出発点にしているという。
 だが、CTBTは米中が未批准で発効のメドは立たず、FMCTは決議が物語るように交渉すら始まっていない。そもそも、この方針をどれほどの国民が知っていようか。
 核廃絶への道筋を描いているのだとしても、その道が国民に共有されていないばかりか、その出発点にさえ立てていないのが現状なのではないか。これで、山頂に至るルートになれるのかどうか。
 禁止条約に署名しない姿勢を貫くなら、確かで現実的な別の道筋と手だてを明示すべきだ。政府といえども、それなくして核廃絶は語れまい。