東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲となった石巻市大川小事故で、児童らの避難ルートとなった裏道の詳しい状況が分かった。裏道は鉄柵など人工的な構造物ではなく、荒れ放題のツタや雑草が茂みとなって行き止まり状態だったという。
 学校近くにあった商店の関係者の男性(53)によると、釜谷交流会館から商店倉庫裏まで裏道が続き、倉庫を過ぎた辺りから雑草などがうっそうと生い茂っていた。商店の裏手付近は別の地元関係者が所有していた。
 過去に北上川の堤防道路(三角地帯)付近まで通じる生活道として利用された時期はあるが、震災前は人が通らない場所になっていたという。
 児童らは校庭を徒歩で出て交流会館前を横切り、三角地帯に向かう途中で被災した。県道に直接出ず、山裾を通ったことから、最短ルートと考えて進んだ可能性があるほか、交通量が多い県道を避けたとの見方もある。
 男性は「裏道は6年生の活発な子なら行けたとしても低学年は難しい。津波が来たら裏山に登れると考え、山裾を進んだのではないか」とみる。元住民は「無理をすれば通れたが、子どもを何十人も連れて通る道ではない」と話す。
 三角地帯は学校より5~6メートル高いが、仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2~3メートルの津波に襲われた。
 一方、児童がシイタケ栽培の学習で登っていた傾斜が緩い裏山は、男性が所有している。震災前年の2010年に枝打ちなどの手入れをして登りやすい状態だったといい、男性は「なぜここに避難しなかったのか」と疑問を投げ掛けた。