バスケットボール男子、B1仙台が14日、今季の日程を終えて2部降格が決まった。レギュラーシーズンは14勝46敗で東地区最下位(6位)、bj時代を含めチーム初のリーグ最下位(18位)に沈み、残留プレーオフは1回戦で敗退した。bjリーグとNBLが統合して生まれた国内最高峰の新リーグ。戦い抜くには選手、コーチ陣、フロントの全てで脆弱(ぜいじゃく)だった。混迷を極めた今季の戦いを見つめ直す。(佐藤夏樹)

◎混迷のシーズン(中)求心力

<戦術が二転三転>
 2月1日、練習場のHALEOドーム(仙台市)に緊張が走った。間橋監督が指示を出す最中に、選手の私語が聞こえていた。
 「そういうところからチームは崩れていくんだろ」
 温厚な人柄で知られる監督から、珍しく怒号が飛んだ。監督の言葉に集中しないのは、この時だけではなかった。
 守りのバスケに活路を見いだしたい監督に対し、選手らは攻撃に目を向け続けた。「簡単にジャンプシュートを打つな」。監督はそう注意し続けたが、安易なシュートで敵に好機を与える場面はシーズン終了まで続いた。
 大敗のたび、監督は言った。
 「甘い気持ちの選手、守備をしない選手は使わない」。しかし、選手層は薄い。言葉を形にすることはできなかった。
 黒星が続けば当然、戦術にぶれも生じる。シーズン当初はスクリーン(守備の進路をふさぐ壁)を使った連係プレーを攻撃の中心に据えたが、途中でパス主体に変えた。その後は二つの戦術を交互に繰り返した。二転三転を続け、チームは成熟しなかった。

<残された選択肢>
 シーズンを振り返ると、同じbj勢相手に勝てる試合を落としたのも痛かった。琉球戦では普段練習していない大技を狙ったことが裏目に出た。新潟、京都にはベンチワークが試される終盤に逆転された。三遠にも26点差をひっくり返されている。
 B1初年度、チームの指揮は前年に引き続き河内修斗氏が担うはずだった。しかし、河内氏は陣容が固まる寸前の5月末に三遠のアソシエイトヘッドコーチ就任を選択。仙台を離れた。
 他チームのスタッフはほぼ固まっており、代わる人材を探しても見つからない。ゼネラルマネジャーを務めていた間橋氏の監督就任は、チームに残された最後の選択肢だったと言える。
 間橋監督は監督代行の経験はあるものの、シーズンを通して本格的にチームを率いるのは初めて。NBL勢に比べて戦力不足が明らかな中で、いきなり指揮を任せるのは酷過ぎた。
 チームを必死にまとめようとしたが、降格は避けられなかった。「1部で最後まで戦えた。ブースターら全ての人にありがとうという言葉しかない」。14日の試合後の会見では感謝の言葉を連ねた。そして、最後にこうつぶやいた。
 「結果が全て。選手たちに申し訳ない」