バスケットボール男子、B1京都のポイントガードで、元仙台の日下光(34)=仙台市出身=が今季限りでの引退を決めた。仙台ではbjリーグ創設の2005年から8季、精神的な支柱として活躍。献身的なプレーはブースターの人気を集めた。12年の現役生活に終止符を打った理由や今後の目標を聞いた。(聞き手は佐藤夏樹)

 -引退を決めた経緯と今の心境は。
 「後悔するかもしれないと思ったが、力が落ちて引退するわけではないので、すっきりしている。(浜口)炎さん(現京都監督で仙台の初代監督)は、自分がやりたいように決めなさい、と決断を尊重してくれた」
 「昨季はあと5、6年は続けられると思っていた。でも今季、2歳下のチームメートが引退することを知り、そういう時期なのかという現実が頭をよぎった。決断は最終戦(5月7日)の5日前。終盤まで争っていたチャンピオンシップ出場がなくなり、『あっ、僕どうしようかな』と思った時、ピリオドを打とうと決めた」

 -bjで11年間プレーし続け、B1の初年度を経験したのは日下選手を含めて7人しかいない。
 「僕は得点やアシストが多い選手ではない。周りのためにスペースを空けて走るなど、12年間常にチームの勝利を優先してプレーしてきた。そういう点が必要とされてきたのかと思う」

 -心に残る出来事は。
 「仙台での3季目、東地区1位を決めたホームの新潟戦(08年3月30日)。プレーは全然駄目だったが、花吹雪が舞い、炎さんが泣いていたのが印象に残っている」
 「11年には東日本大震災があり、バスケをしている場合ではないと思った。それでも、京都にレンタル移籍し、ブースターから頑張ってと言われた。僕たちはバスケを通し、みんなの沈んだ気持ちを少しでもいい方向に向けることができる。バスケ選手の在り方を考えさせられた」

 -8季過ごした仙台時代を振り返って思うことは。
 「プロとはどういうことかを教えてもらった。ブースターや取材への対応、子どもたちへの指導などを含めてプロなのだと。1年目は公開練習をしても、ブースターは1人か2人。そこから地道に頑張ってお客さんが増えた。これがバスケを地域に広めるということなのだと分かった」

 -今後の目標は。
 「教員になるのが学生時代からの目標。部活動でバスケを教えたい。他の道もたどるかもしれないが、将来的には地元で中学の先生になりたい。宮城では明成高が強いが、地元出身の子は少ない。中学の指導者が少なくてレベルが上がらないと言われている。地元の子を育て、土台を強くすることに力を尽くしたい」

[くさか・ひかる]仙台市桜丘中から新潟商高、日大を経て、05年にドラフト1巡目で仙台に入団。8季にわたり、中心選手としてプレーした。11年3月に東日本大震災の影響で仙台が活動休止し、シーズン終了まで京都にレンタル移籍。13年に京都へ移り、仙台で約6年指導を受けた浜口監督の下で4季プレーした。今季は24試合に出場し、1試合平均1.1得点だった。174センチ、71キロ