仙台市出身の岸孝之投手(32)が16日の日本ハム戦で先発し、東北楽天の一員として初めてコボパ宮城のマウンドを踏む。宮城・名取北高から東北学院大という、決して近いとは言えない道から、プロの世界へどうたどり着いたのか。(金野正之)

◎故郷のマウンドへ(上)目覚め

 2002年夏、全国高校野球選手権宮城大会は秋にドラフト1位でプロ野球ヤクルトへ進む東北・高井雄平投手が大スターだった。岸の名取北は2回戦で仙台二に2-4で敗れる。「あの負けがなければ、岸は今、野球をしていなかっただろう」。監督だった田野誠さん(45)=現利府高監督=は、この日が岸の転換点とみる。
 「甲子園の『こ』の字も出ないチームで岸君の力は突出していた」。左翼手だった佐藤克明さん(32)が述懐する。1-0の六回、台風による雨風が強くなった。名取北の外野陣に落球が3度重なり、4失点。完投の岸が許したのは不運な内野安打3本だけだった。

<抜群のセンス発揮>
 小学3年で岸は野球を始めた。社会人野球の七十七銀行元監督の父孝一さん(68)に教わった。お手本にしようと巨人・桑田真澄投手のビデオを見せた孝一さんは驚いた。「見た途端に、いとも簡単にまねた」。抜群のセンスで今の流麗な投げ方を体得した。
 天才肌の岸は、野球に楽しさを求め、体育会独特の雰囲気を拒んだ。名取北に進んだ理由も「(仙台市太白区の)自宅から距離が最短で道も平たん」。入部間もなく、長い練習時間を嫌い「辞めたい」と言った佐藤さんに同調し「一緒なら俺も」と退部を申し出かけたことも。
 
<速球派として台頭>
 「160センチ程度で49キロ。小学生の体験入部か」と田野さんが思った岸は、体の成長とともに台頭する。3年の春には、夏の宮城大会決勝を戦う仙台西、柴田の両校を相手に2桁奪三振の快投を演じ、速球派として知られるようになる。
 夏の仙台二戦、名取北は前の試合の東北と入れ替わってベンチに入った。岸は完封勝ちした高井に声を掛けた。「高井君、お疲れ」。同じころ、田野さんは大学野球の強豪東北福祉大から岸の勧誘を受けた。
 敗戦後、田野さんが学校に戻ると、台風一過の空に虹が見えた。「何かの予兆か」。岸のことを記録に残した方がいいと文集作成を思い立った。岸は「負けた気がしない」と書いた。
 負けず嫌いの岸が素質を開花させるのは、東北学院大に入ってからだった。