◎故郷のマウンドへ(下)開花

 クールな岸がうずくまり、地面をたたいて喜びの涙を流した。2006年の仙台六大学野球春季リーグ。東北学院大は、34連覇中の東北福祉大と1勝1敗1分けで4回戦にもつれ込む死闘の末、勝ち点を奪った。
 4年の岸は1回戦から先発、救援、先発と3戦連続で19回2/3、322球を投げた。右腕は限界だったが、4回戦は1点を追う九回を前に、相手に重圧を掛けようとベンチ脇で肩を慣らした。
 仲間は土壇場の逆転劇で応えた。九回裏2死一塁、4番が2ストライクから地面すれすれの球を捉え、フェンス直撃の同点二塁打。5番のサヨナラ打で王者の牙城を崩した。学院大は翌週の工大戦で勝ち点5とし、35季ぶり、平成では初めての優勝を飾った。
 ○進学当初つまずく
 「野球漬けでなく、普通の大学生活もしたい」。岸は03年春、宮城・名取北高から学院大へ進んだ。だがマイペースな野球の道を歩んできただけに、最初からくじけた。入学前に参加した練習での股割りがこたえた。高校の卒業式前日、「大学、行かなくても…」と監督の田野誠さん(45)=現利府高監督=に切り出し、慌てさせた。
 大学では入部後間もなく、菅井徳雄監督(60)のノックバットを忘れた同級生の連帯責任で丸刈りを強要された。「嫌だ」「部を辞める」とごねる岸を、捕手の服部洋平さん(32)ら同学年が「死ぬわけじゃない」となだめ、長髪を徐々にはさみで切り落として1センチ程度にした。
 ○大黒柱 優勝けん引
 2年の春季リーグで素質が花開く。5月、全日本選手権(6月)で優勝する福祉大を完封。だが、3年は春秋とも福祉大に全敗した。負けず嫌いで、ふがいなさに泣いたことも。そして最終学年での打倒福祉大を誓い、走り込み、投げ込みに没頭した。
 「常に誰かの後ろに隠れていた岸に、先頭に立つ自覚が芽生えた」と菅井監督。最速150キロを誇る大黒柱として06年春の優勝をけん引した後、夏の日米大学選手権でも日本代表のエース格として評価を上げ、秋のプロ野球ドラフト会議で目玉になった。
 「最初に評価してくれた」と義理を貫き、進路を選べる希望枠で西武へ進んだ。10季で103勝を重ね、古里の球団、東北楽天へ。「成長した姿を見せたい」。16日の本拠地初先発は地元の人たちに恩返しするための最初のマウンドとなる。