河北新報創刊120周年を記念した特別対談「東北を熱くする!」(河北新報社、宮城河北会主催)が8月24日、仙台市青葉区のホテルメトロポリタン仙台で開かれ、約400人が参加した。対談したのは、プロ野球東北楽天の元監督で球団副会長の星野仙一氏と、河北新報社の一力雅彦社長。星野氏の監督1年目の2011年に発生した東日本大震災、13年の日本シリーズ制覇を振り返りながら、プロ野球の魅力や球団と地域の関わりなどについて熱く語り合った。

◎河北新報創刊120年記念

<2011年「三つの開幕戦」のウイニングボール>

 一力 震災が発生した時、東北楽天はオープン戦で兵庫県明石市にいた。仙台に戻れないまま約1カ月間、オープン戦が続いた。
 星野 地震が起きた時はロッテと試合中で、すぐに選手やスタッフが家族の安否確認に当たった。その後、選手は野球に身が入らない状態になったが「こういう時こそ、東北の人に勇気を与えるため、俺たちは勝たなきゃいけない」と叱咤(しった)激励した。こういう災難は、それをはねのけられる男たちに降りかかってくる。「ようし、必ずはねのけてやる」と決心した。
 開幕直前になって、やっとバス2台で仙台に帰った。被災地の光景を見て、みんなで涙を流した。
 一力 東北楽天は4月12日に千葉であったロッテとの開幕戦に勝利した。ウイニングボールを河北新報社に寄贈していただいた。
 星野 最初のボールは東北に届けないといけない。それは河北新報さんが一番いいだろうと。
 一力 そして4月15日、甲子園での主催の開幕試合で田中将大投手(現大リーグヤンキース)が完投勝利を飾り、二つ目のウイニングボールを贈ってくれた。
 星野 本当は田中は(ロッテ戦の)開幕投手だった。だが、主催の開幕戦はKスタ宮城(当時)が修復工事で使えず、甲子園を借りることになり、甲子園なら田中がいいと変更した。
 一力 三つ目は、工事が終わった4月29日のKスタでのホーム開幕戦。これも田中投手が完投した。
 星野 ようやく地元に戻れたという思いで、選手は異常な精神状態だった。「このゲームだけは絶対に取る」と。みんなが集中して戦った。
 一力 3.11のつらい時に「強くならないと駄目だ。勝たないと駄目だ」と三つの開幕戦を全て勝った。本当にすごいことだ。KスタやJR仙台駅、被災各地で展示した「三つのウイニングボール」は、地元の皆さんを勇気づけた。

<日本一の夢かなえた「11.3」>

 一力 13年に東北楽天が日本一になった「11.3」(11月3日)は3.11をひっくり返した数字。震災をはねのけようという強いメッセージを感じる。
 星野 震災から2年間、選手は被災地訪問などに熱心に取り組んだが、チーム成績は低迷した。負けていて子どもたちや被災者に「頑張って」と言えるのか、と思った。だから3年目の13年は駄目なら腹を切る覚悟だった。開幕の日、いざ出陣の時に選手に言った。「お前たちの優しさは被災者に十分に伝わった。だけど本当の優しさというのは、強さを見せつけることも必要だよ」と。
 一力 日本シリーズ第7戦は、前日に160球を投げた田中投手に最後のマウンドを託した。
 星野 第6戦に田中で敗れ、私も選手もファンも大ショック。試合後のミーティングで選手に何と声を掛けようと考えたが、口から出たのは「おい、ありがとう」だった。「ジャイアンツ相手に第7戦までいけるなんて素晴らしい。お前らを誇りに思う。今のショックを切り替えたら、絶対勝てる。切り替えるぞ」と。そうしたら全員から「よっしゃー」と声が上がった。いけると思った。
 一力 田中投手は第7戦、渾身(こんしん)の15球を投げた。
 星野 田中が七回ぐらいにベンチで僕の前をうろうろし始めた。コーチは「投げたいんですよ」と言う。僕も考えた。リーグ優勝、クライマックスシリーズに続き、日本シリーズも田中で締めくくった方が、東北楽天の歴史をひもとく時に物語になるかなと。選手交代を告げに行き、「田中やー」と言った。
 一力 あのひと言にみんなが注目し、田中投手が最後に三振を奪った。3.11のつらく悲しい涙が歓喜の涙に変わった瞬間だった。巨人ファン以外はみんな東北楽天を応援した。日本中が東北を応援した。東北頑張れ、復興頑張れと。
 星野 不思議な力があった。被災地や全国の方が、われわれを勝たせるように背中を押してくれた。
 一力 地元の人たちは「おめでとう」ではなく「ありがとう」と言った。復興のつらい中、頑張ればできる、これからも頑張るんだとの思いを強くした。大きな力をいただいた。

<おらがチーム 東北に一体感>

 一力 東北楽天監督就任の記者会見で「東北を熱くする」と話された。みんなが感動した。
 星野 考えていた言葉ではなかった。東北楽天の誕生前から三木谷浩史オーナーとは知り合いで、球団を持つことを勧めた経緯もある。阪神の監督を辞めた後、「野球をやりたい」と思い始めた時期に三木谷氏から話が来た。よほど困っているんだと思い、よっしゃ引き受けようとなった。
 一力 宮城はプロ野球が誕生した頃から深い関わりがあり、1970年代はロッテが仙台を準フランチャイズにした。長く球団の誘致活動を続け、地元球団は悲願だった。
 星野 地元財界が熱心に誘致してくれて今がある。昔の宮城球場(Koboパーク宮城)は汚なかったが、今は天然芝を張るなど甲子園に次いで立派だ。ボールパークとしても十二分に機能している。応援も熱くなり、これから球場全体がもっと一体化してくると思う。もうフランチャイズは絶対にここしかない。
 一力 今年は青森県で29年ぶりにプロ野球の1軍公式戦が開催された。東北楽天が東北の全6県で試合の主催を実現した。東北の一体感に東北楽天が大きく貢献していると感じた。
 星野 仙台、東北の人が東北楽天を「おらがチーム」と思ってくれるようになってほしい。昔は巨人戦しかテレビに映らなかったから、みんな巨人を応援したが、今は広島みたいに球団がきちんと地域に密着しないとやっていけない。青森でも子どもたちが喜んで喜んで。
 一力 子どもに夢を与え、夢を育むのもプロ野球の力だと実感した。フランチャイズがある街は素晴らしい。有形無形の財産、宝がある。地域の価値を上げ、住んでいる人たちを豊かにする。
 星野 球団は地域を大事にしないと。日本全体でも12球団しかない。もっともっと球団を増やしていいと考えている。
 一力 フランチャイズがある街を誇りに、地域が球団と一体になって進化していけたらと思う。

◎星野氏へ 会場から質問/「虎次郎」「桃次郎」パパは…

 -中日の投手時代、巨人戦で宇野勝遊撃手の「ヘディング事件」が印象的だったが。
 「失点ゼロできた七回2死で遊撃に飛球が上がり、悠々とベンチへ引き揚げていたら、場内が騒いでいる。振り向くと、ボールが左翼側に転々とし、走者がかえって1点が入った。九回まで投げて2-1で勝ったけれど。でも、あれがあってから『珍プレー好プレー』というのが番組で始まった」
 -桃次郎と虎次郎のパパのことを教えてほしい。
 「ある選手が『監督、子どもが生まれました』と報告に来た。男の子だといい、名前は虎次郎。その後、次男が生まれ、今度は桃次郎。『虎と桃か、お前、タイガース(阪神)に行きたいのか』と聞けば、『東北楽天でいいです』と。実は銀次の長男と次男。面白い男で、3人目はどんな名前が付くのか楽しみだ」

 -13年の東北楽天の優勝メンバーで将来、チームの首脳陣に入る選手は誰か。
 「名前は言えないね。彼らの今後の努力次第。僕は東北楽天の監督を引き受けることになった時、本を読んで東北の歴史を勉強した。首脳陣になるなら地域の文化、歴史など野球以外のことも勉強しなくては。監督はおやじであったり、母親であったり、そういう要素を少しでも持っておかないと」

◎星野氏エピソード

<田中に「おい、メッセージ見ろ」>

 「震災が起きる前のオープン戦のころ、『開幕投手はお前だよ』とボールに書いて外野でボール拾いをしていた(田中)将大にぽんと渡したら、将大はそれを見ずに岩隈久志(現大リーグマリナーズ)に投げようとした。『おい、メッセージを見ろ』と大慌てになった」

<背番号77は川上氏にあやかる>

 「(巨人・川上哲治監督が付けた)77番は当時のアメリカのドラマ『サンセット77』から『セブンセブンでいい語呂じゃないか』」と軽く付けたらしい。中日の監督になる時、川上さんに『77番を付けていいですか』と聞いたら、『おお、うれしいな』と言っていただいた」