「東北を熱くする」。4日に70歳で死去したプロ野球東北楽天の元監督、星野仙一さんは、2010年秋に監督を引き受けた時の約束を、13年に初の日本一達成という形で見事に成し遂げ、東日本大震災の被災者に大きな勇気を与えた。
 震災の発生が思いをより強めた。「勝って希望の光となる」。13年、開幕から24勝無敗だったエース田中将大投手(現ヤンキース)をけん引役に復興の力となった。
 「かつては『監督の命令は絶対』というタイプだったが、13年は丸くなった。『やれ』と言って『はい』と簡単に言わない最近の若者を、押したり引いたりしながらうまく率いた」
 星野さんと中日、東北楽天で監督と選手の間柄だった野球解説者の山崎武司さんは、「闘将」の振る舞いに変化を見たという。
 象徴的なのが13年の日本シリーズだ。勝てば日本一という第6戦、田中投手が160球投げて敗れた。重苦しい空気のロッカールームで、星野さんは選手、コーチにこう呼び掛けた。
 「おい、ありがとう」
 きょとんとした表情の周囲に向かって続けた。
 「だってそうだろう。巨人という王者相手に第7戦まで行けるなんて、お前ら素晴らしい。俺はこんな選手を持って誇りに思う。あしたはもう負けてもいい」
 言った直後、「しまった」と少し後悔したが、その後にうまく締めた。「でも、勝ちたいよな。今のショックをあしたのゲームまでにどう切り替えるかだ。お前らの力なら絶対勝てる」
 選手、スタッフの闘争心に火が付いた。その場の全員から「よっしゃー」と気勢が上がった。
 第7戦。3点リードで迎えた九回、田中投手が異例の連投となる志願の救援登板し王者巨人を倒した。星野さんの体は中日、阪神でなし得なかった日本一の胴上げで宙を舞った。
 14年限りでユニホームを脱ぎ、15年秋からチーム編成の全権を握る球団副会長になっても、現場へのあふれる情熱は衰えなかった。16年11月、西武からフリーエージェント宣言した岸孝之投手(東北学院大出)との交渉で迫った。
 「迷ったら前に進め」
 この言葉に岸は「強く背中を押された気持ちになった」と言い、古里の東北楽天への入団を決意した。
 チームが優勝争いを繰り広げながら3位に終わった17年。年末に病状が悪化してからも、チームへの思いは変わらなかった。球団によると、息を引き取る直前まで「(今月18日の)コーチ会議に出られるかな」と語っていたという。
 18年、その闘志を引き継いだチームが5年ぶりの王座奪還で「闘将」の遺志に応えるシーズンになる。(スポーツ部・金野正之)