プロ野球中日のエースとして「燃える男」、中日、阪神、東北楽天の監督では「闘将」と呼ばれ、2013年に東北楽天を初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が4日午前5時25分に死去した。70歳。岡山県出身。密葬は6日、近親者で執り行った。後日、お別れの会を開く予定。
 楽天野球団によると16年7月に急性膵炎(すいえん)を発症したことをきっかけに膵臓(すいぞう)がんであることが判明。昨年11月と12月に行われた星野氏の野球殿堂入りを祝う会には出席したが、12月末に病状が悪化したという。
 10年10月に東北楽天の監督に就任。11年の開幕前に東日本大震災が起き、「東北の人に勇気を与えるために、勝たなければならない」とチームを鼓舞し続けた。3年目の13年に田中将大投手(現ヤンキース)らを擁して、球団創設9年目で初優勝を果たし、巨人との日本シリーズも制した。14年限りで監督を退き、15年9月から球団副会長を務めていた。
 岡山・倉敷商高から明治大を経て、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団。82年まで中日一筋でプレーした。気迫を前面に出す投球から「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志をむき出しにした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。巨人の10連覇を阻止してリーグ優勝した74年には沢村賞と最多セーブに輝いた。
 引退後は87年に中日の監督に就き、12球団で初の戦後生まれの監督となった。翌年にリーグ優勝。96年には中日で2度目の監督に就任し、99年にも優勝を果たした。2002年から阪神を率いて03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズで敗退し、直後に健康上の理由で退任した。
 3球団で計17年の監督通算成績は1181勝1043敗53分け。08年の北京五輪で野球の日本代表監督を務め、準決勝で韓国に、3位決定戦でも米国に敗れてメダルを逃した。17年にエキスパート表彰で野球殿堂入りした。

<早すぎる死悼む/ 野村克也・元東北楽天監督の話>
 驚いた。いくら何でも早過ぎる。阪神でも楽天でも私の後に監督となり、優勝につなげた不思議な巡り合わせがあった。お悔やみを申し上げるほかない。

<打倒巨人を前面/ 長嶋茂雄・元プロ野球巨人監督の話>
 あまりにも突然のことで残念でなりません。「打倒巨人」を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だからこそ、「さあ仙ちゃん、来い」と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。ご冥福をお祈りします。

<人生の思い出に/ ヤンキース・田中将大投手の話>
 突然のことで信じられません。楽天イーグルスで日本一になり、星野監督を胴上げできたことは僕の野球人生の大切な思い出です。メジャーでプレーすることを応援してくださいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします。