元名古屋大女子学生の裁判員裁判で、元名大生(21)は7日、情状に関する被告人質問に答えた。仙台市内の私立高2年だった2012年、劇物の硫酸タリウムを2回飲まされ、視力が著しく低下したとされる元同級生の男性(21)も出廷し、処罰感情を訴えた。要旨は次の通り。

 【元名大生の供述】
 「人を殺したい」と思う頻度は以前と比べてかなり減ったが、最近もたまに殺人欲求が湧き上がり、人を殺す夢も見る。精神鑑定中に処方された薬を飲み始め、落ち着いてきている。
 事件当時の記憶は曖昧な部分もあるが、思っていることは法廷で言えた。勾留中、遺族や被害者の気持ちを考えようと何度も試みたが、自分の考えと遺族や被害者の考えが全く異なり、あぜんとした。たとえば殺害した女性が居なくなれば、遺族は生活の不便から怒りを感じると思っていたが、喪失そのものが怒りや悲しみにつながっていると知り、驚いた。心情があまり想像できていない。遺族らの言葉を聞き、こういう事件を二度と起こしたくないと思った。
 殺される瞬間、女性が恐怖を感じたかどうかは今も実感が湧かない。遺族の寂しさもぴんとこない。殺害しなければよかったと思うことはあるが、殺害しない方向に持って行けたかと言われるとちょっと自信がない。殺害しないに越したことはなかったものの、殺害を避ける方法は分からない。
 女性殺害の1カ月前、ツイッターで「犯罪を犯して逮捕されるまでの間は日常のありがたみが身に染みる。しかし、なかなか捕まらないといつしかその気持ちを忘れる。その結果、日常の素晴らしさを思い出すべく、また犯罪をしたくなる」とした投稿は何となく覚えている。ツイッターを小説というか一つの物語にしたい気持ちがあり、その一環として書いた。
 タリウム事件については、被害者の目に見える変化しか感じ取っていなかったが、見えない苦労、苦痛があることを法廷で初めて知った。事件を起こした高校2年当時は被害者の気持ちを想像するのが難しかったし、今もなかなかできずにいる。仮に私が誰かにタリウムを飲まされたとして「どこで入手したんだろう」と思っただろう。被害者の生の声を聞き、自分との差に驚いた。
 高校の授業で現代文は苦手だった。登場人物の心情に関する問題では、受験のこつを使って解いていた。高2の夏頃、友達に「悪いことをしているんだったら自首した方がいい」と言われた。私は警察に捕まるのが怖く、「自首はしない」と返した。
 15年1月に逮捕され、「仙台でも人を殺せず残念」という気持ちはあった。「捕まってもそれは一つの経験」と考えたこともあったと思う。
 謝罪したい気持ちはどの被害者に対してもあるが、謝罪の仕方がまだ分からない。今、一番言いたいのは、こういう事件を二度と起こしたくない気持ちを持っていること。反省したいが、反省が何かがまだ分からない。どの事件も「やらなきゃ良かったな」という気持ちはある。なぜ女性を殺害しなければいけなかったのか、なぜタリウムを飲ませたのか、考えたことはあるが分からなかった。
 最初は時間がたてば反省できると思っていた。そうではなかった。誰かの協力を得たい。償いの意味は分かるが、償う方法は分からない。被害者や遺族には謝罪をしていない。被害者から賠償を求められており、できるだけ支払いたい。具体的に自分がどこに住み、何をしていくかは分からない。科学は勉強したい。事件を起こさなかったら研究者になりたかった。人を殺さない自分に変わりたい。二度と犯罪を起こしたくない。
 法廷で遺族や被害者の言葉を聞くのはつらかった。自分と被害者の感覚がずれている事実や被害者の苦痛を知り、ショックを受けた。精神鑑定をした医師が出廷し、多くの場面で「障害」と言われるのもつらかった。今は治療を受ける気持ちになっている。
 人を殺したくないと思う半面、人を殺したい気持ちも湧き上がる。コントロールできず困っている。入院中、医師から世間の常識や感覚とのズレを指摘された。「人を殺したい」という欲求は他人にもあると思っていた。
 高校時代、母や妹を殺したいと考え、2人を殺す夢も見た。どうしてそのような考えが浮かぶのか、自分でも説明できない。父は受験をする高校を勝手に決めたり、ピアノを無理にやらせたりするなど憎いが、そうした憎しみの感情を被害者が私に抱いていることの実感がない。精神科医から「実験台にされたら」と仮定の話をされた際、「自分の代わりがいるのでは」と伝えた。個々がかけがえのない人だという感覚があまりない。
 病院の心理士から「殺したい願望に対する自己抑制訓練」として原則を示された。(1)殺人欲求を刺激しないために不必要に脊椎生物を殺さない(2)手段が手元にあるとブレーキをかける間もなく行動に移しかねず、武器や毒劇物の収集を禁止する(3)殺人欲求の刺激につながるため、過去の犯罪に関する資料や残虐な映画などの鑑賞を禁止する(4)アルコールや違法薬物の摂取を禁止する(5)自分の気分の状態を意識する-の5項目だ。
 最初の項目は、昨年夏頃、入院中に小さなアマガエルを引きちぎって殺したことがあり、それを病院側に知られて盛り込まれたのかもしれない。二つ目の項目に関し、本当は凶器が欲しいが、「人を殺さない自分に変わりたい」との気持ちから「要らない」と言っている。社会復帰後もできれば凶器は買いたくない。生活に必要なナイフは買うと思う。入手後に何を考えるかはその時にならないと分からない。薬品を欲しいと思う気持ちは今も変わらないが、手放す覚悟ができた。もし、薬品を手元に置けたらコレクションとして並べて見ていたい。使う可能性はゼロではない。いつ、人に飲ませたい気持ちが湧き出るか分からない。社会復帰後もできればタリウムは買わないようにしたい。実際に買うかどうかは分からない。
 5項目の約束は守りたい。人を殺さない、傷つけない自分になりたいとの気持ちが強くある。
 裁判が始まって約2カ月がたつ。最初の頃と今とで大きな変化はないんじゃないかと思う。被害者の気持ちは「分かる」という段階ではないかもしれないが、一通り「知った」のは大きい。反省につながればいい。
 人を殺したい気持ちは週1、2回生じる。どういう時に、というのは分からないが、公判中も法廷で一度「人を殺したい」と思った。タリウム事件の審理で、被害者の治療に当たった医師が証言をしている最中だ。誰でもいいから殺したいと思った。欲求はすぐに収まった。

【元同級生の男性の意見陳述】
 事件のせいで、思い描いていた目標や夢は台無しにされた。特に目がほとんど見えないことでとても不自由を感じている。普段は嘆いたり悲しんだりしないようにしようと思って生活している。現実と向き合い、乗り越えようと努力する生活にも慣れた。
 それでも、電車に乗る際や買い物、運動時など、日常生活のさまざまな場面で自由が利かず、「この事件さえなければ」と感情が高ぶる。大学での勉強でつまずくと、事件当時のことを思い出す。すごく歯がゆい。被告が許せなくなり、元の体に戻してほしい、事件前に時間を戻してほしい、と叫びたくなる。
 高校時、原因も分からないまま腹痛になり、食事も喉を通らなくなった。髪の毛は大量に抜けた。いったいどうしたんだろう、このまま死んでしまうのではないかと、不安で押しつぶされそうだった。腹痛や脱毛が落ち着いた頃、今度は目が見えなくなり、脚に力が入らなくなった。歩くことさえできなくなった時は正直、心が折れた。精神的にすごくつらかった。
 「タリウムを投与したらどうなるのか」という身勝手な動機で、実験台にされた。なぜ自分の命を懸けて被告の実験に協力しなければいけないのか、全く理解できない。人の命を何だと思っているのか。もし、自分が命を奪われたらどう思うのか。
 この法廷で被告から反省や謝罪の言葉が聞けると思い、(被害者参加制度を使って)公判に参加したが、最後まで反省や謝罪は聞けず、被告は事件のことをまるで人ごとのように話していると感じた。これ以上、謝罪や反省は求めない。許すつもりもない。一生刑務所に入り、罪を償ってほしい。