難病を患い入院中だった三男(1)を殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた母親の被告(42)=富谷市=の裁判員裁判で、仙台地裁は5月末、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役5年)の判決を言い渡した。母親は10年前にも4歳だった次男を同じ遺伝性の難病で亡くしていた。孤立、戸惑い、絶望-。罪は言い訳できないが、支援体制は十分だったのか。事件は重い課題を社会に突き付けた。
 母親は涙ぐみながら、法廷で当時の心境を明かした。「次男と同じ運命なら今のうちに楽にさせたかった。助かったと聞いても喜べなかった。生き延びることが幸せとは思えなかった」。傍聴席からも、すすり泣く声が聞こえた。
 判決によると、母親は2016年11月17日朝、仙台市青葉区の宮城県立こども病院で、三男の口と鼻を両手でふさいで殺害しようとした。三男は18分間の心肺停止を経て息を吹き返した。
 三男の難病は遺伝子異常によって体内で作られる酵素が不足し、発症する。4歳までの死亡例が多く、根本的な治療法はまだない。国内で8万~10万人に1人が罹患(りかん)するとされる。
 次男は10年前、母親が連日の介護疲れで傍らで眠っている間に静かに息を引き取った。次男と三男は同じ難病を患っていたが、三男はたんを吸引するたびに「顔を真っ赤にして泣き叫び、見ていられなかった」(母親)という。
 母親は三男誕生直後の15年冬、仙台市職員に「口と鼻をふさいでしまいそうだ」と告白していた。職員は精神科の受診を勧め、同年12月、うつ病と診断された。父親も母親の負担を減らそうと、事件直前に仕事を辞めていた。母親の義兄も食事や旅行に誘ったが、事件は防げなかった。
 「仕事や長男の世話で大変だったが、今考えると、妻をもっとサポートしてあげればよかった」。父親は後悔の念を口にした。
 認定NPO法人「難病のこども支援全国ネットワーク」(東京)顧問の小林信秋さん(69)は難病の長男をみとった経験から「介護を通じて家族の絆が強まった」と振り返る。
 一方、難病の長女(2)を抱える盛岡市の母親(42)は「娘と死のうと思ったことは何万回もある。同じことをしてしまう可能性はゼロではない」と打ち明け、同じ年齢の母親にメッセージを送る。「一緒に泣き、笑ってくれる人がいる。私たちは独りじゃない」
 難病児や家族と向き合ってきた東北大大学院医学系研究科の塩飽(しわく)仁教授(55)=小児看護学=は「次男の病気が判明した時から専門家による継続的な支援があれば状況が違っていたかもしれない」と指摘。医療情報や社会的支援を助言する認定遺伝カウンセラーの活用を勧める。
 これまで取材した難病患者や家族は「難病といっても千差万別。同じ境遇の母親以上に支えや励ましとなるのが第三者の存在」と口をそろえる。社会的な無関心により、難病患者と家族を孤立させる事態だけは避けたい。
 母親は法廷で「抱っこして謝りたい」と反省の弁を語った。限られた命を懸命に生きる三男の支えになってほしい。(報道部横山勲、千葉淳一)

[メモ]次男と三男が罹患した難病は厚労相が指定する722の小児慢性特定疾病(小慢)の一つ。体内で作られる酵素が不足して発症する。乳児の場合、生後3カ月以降に精神発達の遅れや視覚・聴覚障害などが現れ、4歳までに亡くなる例が多い。両親から25%の確率で遺伝する可能性があった。2016年3月末現在、東北6県で小慢全体の医療費助成の受給者は約8000人いる。