しとしと…、ぽつん。急に降り出した雨は石畳の参道をぬらし、両脇に並ぶつぼみを持ったアジサイから滴を滴らす。
 2人が待ち合わせたのは青葉区北山の資福禅寺の山門だ。資福禅寺といえば「あじさい寺」として知られる所。ここではアジサイの開花に合わせ、茶席も設けられるというのでやって来たわけである。
 約束の時間まで、お寺を一巡りすることに。いやすこが採ったのはあまのじゃくコースで、タイサンボク横の花芯門を出て、本堂の裏を回り、裏の門から境内へ。この裏門の名がまたしゃれているのだ。「雨良門」。雨もまた良しかぁ。今までの「雨降っちゃったね」の暗い気持ちから、2人はがぜんお楽しみ気分に。と、「みいさん、ここに急須塚なんてありますよ」と画伯が見つけたところで、そろそろ時間だ。
 迎えてくれたのは住職の渋谷芳円さん(45)。美しく整えられた境内、宮大工の技が光る本堂に比べ、通された庫裏はつつましい。「元々古い建物が震災でダメージを受けて、そのままなんです。ギャップに驚いたでしょう」と朗らかに笑う渋谷住職は、「がんばろう東北!」とプリントされたTシャツ姿。私たちにふんわりとした立派な座布団を用意してくださっていた。
 「元々茶の湯の文化は、12世紀に臨済宗の栄西さんが宋(中国)から帰国してもたらしたもので、じわじわと日本中に広がって行ったんです」。ここ仙台では初代藩主伊達政宗が文化人であり、京都の当時最先端の文化を取り入れてきたのだと教えてくれた。
 「そういえば資福寺の虎(こ)哉(さい)和尚は、政宗や片倉小十郎の師範でもあった人ですよね」と画伯が問うと、「そうです。学徳に優れた虎哉和尚を政宗の父・輝宗が政宗の師として招いたのです」
 臨済宗の傑僧・虎哉禅師が同じ臨済宗の栄西さんがもたらした茶の道を、政宗公に教えたということもあり得るのでは、と想像をたくましくしてしまう。虎哉禅師については史料も墓もないそう。「墓を作ってはだめと遺言したそうですよ」
 政宗公が大切にした茶のもてなしが虎哉禅師ゆかりの寺で今も行われている。アジサイの開花に合わせて小書院で開かれる茶席は、始まって30年近い。「桜の開花は年によって違いますが、アジサイの開花はどの年もほぼ同じ。だから、期間は毎年6月25日~7月15日と変わりません」
 この短い期間にお茶を飲む人は2000人! 「喜んでくださる方のためにもきれいに整えています」。雨の中、庭師や寺の方が作業される様子や、さりげなく置かれたベンチにも来訪する人々への細やかな心配りが感じられる資福禅寺。渋谷住職はお茶が好きで、時間があると奥さまとお茶を点(た)て合うそう。「一座建立というんですよ」と、また新しい言葉を教えてもらった。「うーん、茶の心か~」
 雨もまた良し。しっとりとした境内で、季節を映したような抹茶の一(いち)碗(わん)を画伯と一緒にいただく。なんと平和な風景だろう。アジサイの開花までもうすぐだ。

◎おぼえがき/日本の茶道 千利休が大成

 日本の茶道は鎌倉時代、臨済宗の開祖・栄西が宋の点茶(抹茶)文化を持ち帰り、南北朝時代に普及。千利休により茶の湯として大成された。
 伊達政宗は、米沢時代から書院における古典的な茶道を学んだが、秀吉との出会いにより、当時、上方で流行していた草(そう)庵(あん)における侘(わ)び茶を身に付ける。千利休の手ほどきを受けたいという政宗の夢は25歳の初上(じょう)洛(らく)の際に実現。その24日後に利休は切腹した。その後、利休七哲の一人古田織部の弟子・清水道閑が政宗の茶頭になり、伊達家の茶の湯を石州流に導いていった。
 仙台の資福禅寺は鎌倉時代、資福寺として現在の山形県高畠町に創建された。政宗の父・輝宗が臨済宗の虎哉宗(そう)乙(いつ)を招き、中興開山。その後伊達氏の移封に伴い岩出山、仙台と移転する。政宗が幼少の頃より40年近くにわたり虎哉禅師の教育を受けるなど、伊達家の人間教育の場として重要な役割を果たした。(参考資料/「別冊歴史読本・独眼竜政宗」新人物往来社)
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。