東日本大震災、東京電力福島第1原発事故で被害を受けた市町村が初動対応を自ら検証する作業は、記憶が薄れる時間との闘いの中、手探りが続く。検証は「限りなく」「できない」「後に託す」-。それぞれの現場を訪ねた。


◎震災と原発事故の複合災害 記録に注力

 「ようやく腰を落ち着けて将来を考える段階に入った。まだ手が回らない」
 原発事故に伴う避難指示が一部を除き4月に解除された福島県富岡町。滝沢一美副町長は当面の検証に難色を示す。帰還住民は約300人。復興事業が急ピッチで進む一方、今も約1万3000人が町外で避難生活を送る。眼前の課題に人手も時間も足りない。
 手を尽くさないわけではない。町は震災と原発事故による複合災害、その後の長期避難という経験を後世に残す取り組みも進める。2015年3月にまとめた記録集は、震災発生から3年間を、職員らが率直に語った証言集だ。
 「いやも応もなく目の前で起きていることへの対応を続けてきた」「瀬戸際での知恵が試され続けた」。情報もなく強いられた避難、住民の安否確認、避難所運営、賠償を巡る摩擦-。課題と向き合った日々の苦しみを生々しく伝える。
 町では震災後、定年退職などで職員約140人の4割弱が入れ替わった。新たな地域防災計画はできたが、事故当時に町災害対策本部事務局長を務めた滝沢副町長は「計画はあくまで机上。実際に役立つかは、それぞれが臨機応変に対応できるかにかかる」と、次の世代に危機意識をつなぐ大切さを強調する。
 防災を所管する生活環境課の鎌田祐輔係長は「原発事故の長期避難は前例がなく、明確なゴールがない。正解を導き出すのは難しい」。町は4月、全国初の震災遺産保全条例を施行し、資料などの保存に注力する。記録と記憶を後世に残しつつ、どう今後に生かすか。模索が続く。