フィリピンはかつて東南アジア諸国の高度成長の波から取り残され、「アジアの病人」と称された。近年は6%台の成長率を維持し、マニラ首都圏には繁栄を象徴する超高層ビルが立ち並ぶ。一方、ビル群の谷間には発展から取り残されたスラム街があり、住民は最低限の生活を強いられている。東北の小中高教師を派遣した国際協力機構(JICA)東北支部の海外研修に同行取材し、フィリピンが抱える陰の面を伝える。(報道部・山口達也)

◎フィリピンからの報告(下)ごみの山

 風が吹けば、強烈な悪臭が漂う。雨が降れば、汚水が道路を覆う。
 マニラ首都圏ケソン市北東にあるパヤタス地区の巨大な「ごみの山」。東京ドーム4個分の約20ヘクタールの敷地に高さ約30メートルの量が積み上がっている。中身は分別されていない金属やプラスチックなどに加え、家庭やレストランから出た残飯もある。
 パヤタスはフィリピンの最貧困地区だ。住民は金属などをリサイクル業者に売って収入とし、残飯を掘り起こして食の足しにする。
 腐敗した生ごみや金属からあふれ出た有害物質が液体や気体となって一帯に流れ、充満する。住んでいる限り、身体はむしばまれ続ける。特に子どもへの健康被害は深刻だ。
 それでも、ここから抜け出せない。教育を受けておらず仕事を選べない。ごみの山に依存するしかない。

 パヤタスに30年近く住むジョシーさん(46)は夫ベンジーさん(49)と子ども6人、孫1人と暮らす。家の広さは15平方メートルほどだ。
 ベンジーさんは元々、警備員をしていた。毎日、片道約3時間をかけて勤務地に赴く。現場までの交通費は、自腹を切っていた。
 過酷な通勤に加え、もらっていた給料では採算が合わない。2000年以降、ごみの山に頼らざるを得なくなった。廃品を売って得られる収入は1日約250ペソ(550円)。家族9人の食事などで1日の稼ぎは無くなる。「毎日が大変」とジョシーさんは嘆く。
 追い打ちを掛ける事態が7月下旬に起きた。政府がごみの山の崩落の危険性を考慮し、閉鎖を決定。ベンジーさんは仕事を奪われ、ジョシーさんは「どうしたらいいのか」と途方に暮れた。

 認定NPO法人アイキャン(名古屋市)はごみの山に依存する貧困層の支援を続けている。力を注ぐのは主婦への職業訓練だ。
 01年に始め、05年にグループ化した。裁縫技術を学び、縫いぐるみやかばんといった雑貨を作り、販売する。グループでは現在、16人が活動し、1カ月で1万ペソを稼ぐ人もいる。
 メンバーのビビアンさん(60)は裁縫で安定した収入を得て、ごみの山から抜け出した。息子2人を大学に通わせることもできた。
 しかし、ごみの山の閉鎖には複雑な気持ちを抱く。パヤタスで自分の境遇は例外だと知っているからだ。
 「山は無くなってほしいけど、無くなれば稼ぎを失う人が多くいる」

<パヤタス地区>ごみの山周辺に住む人の1日の平均収入は約200ペソ(440円)で、マニラ首都圏の最低賃金約490ペソ(1100円)の半分以下。2000年に山が崩落し、住民300人近くが犠牲になった。当時は約2000人がごみの収集で暮らしていた。周辺地域は許可がなければ、外国人も含めて一般の立ち入りができない。