駄菓子屋、ドーナツ盤、スーパーカーにオカルト本…。平成の世にありながら、街のあちこちで「昭和」の香り漂うお店や商品、出版物を多く見掛けます。
 10月の「週刊せんだい」のテーマは「今も息づく昭和の風景」。40代後半以上のおじさん、おばさん世代が少年少女だった1960年代後半から80年代にスポットを当てます。当時人気だった遊びや、話題となった文化風俗を振り返りながら、今も人々を魅了する昭和の魅力について考えます。

◎ほれ込み人生を共に 「夢はかなう」伝えたい

<「普段使いできる」>
 あの娘を ペットに したくって。ニッサンするのはパッカード-。
 映画スター、小林旭が「自動車ショー歌」を歌った1964年。それまでの「全日本自動車ショウ」が、「東京モーターショー」と改名。日本の自動車産業が国際競争に向けて第一歩を踏み出した年だった。
 ニッサンフェアレディZ、スズキセルボ、三菱ギャランGTO…。個性的な車種が並ぶ。9月下旬、宮城県川崎町の国営みちのく杜の湖畔公園で開かれたヒストリックカーの展示イベント。集まった47台は30年以上前に生産された国産・外国車だ。
 流線形の車体に、軽快なエンジン音。「トヨタスポーツ800」だ。大衆車パブリカから流用のエンジンはわずか45馬力。非力さを空力特性に優れ、アルミを多用した軽量ボディーで補い、ライバルに対抗した。
 「1リットル当たり27キロは走る。維持費もかからず経済的」とオーナーの保科秀一さん(69)=白石市=。雨漏りや小さな故障は日常茶飯事だが、
「普段使いができるのが魅力。外国の旧車には無理」と胸を張った。

<面倒を見る楽しさ>
 「ヨタ8」の好敵手といえば「ホンダS800」。長谷川親房さん(66)=仙台市泉区=は「S800M」と呼ばれる海外向けの左ハンドル車を所有する。レースの経験を市販車に生かすという、ホンダの創業者本田宗一郎の理念に共鳴する、根っからの「ホンダ党」だ。
 乗る時は車が発する音に全神経を集中する。「今の車は故障があれば教えてくれる。この車は全部自分で面倒を見ないと動いてくれない。疲れるけどそれが楽しい」と頬が緩む。車の力を引き出すには、人間側の努力も欠かせない。
 天に向かって高々と開くドア。「ランボルギーニカウンタックLP500S」は、70年代中盤のスーパーカーブームを知る世代にとって、夢の車だ。丸森信裕さん(57)=山形市=は、高校1年の時山形市内で開かれた展示イベントで、見たこともない姿に衝撃を受けた。以来所有することを人生の目標に据え、2010年に念願のオーナーとなった。
 イタリアに何度も足を運び、設計者やデザイナーから貴重な資料の提供を受けるなど、ほれ込みようは尋常ではない。夢はミュージアムの建設だ。「自分がこの車から夢をもらったように、頑張れば夢はかなうと、今の子どもたちに伝えたい」

◆◆懐古モノがたり

◎プラモデル/30~40代に根強い人気

 戦艦大和、ゼロ戦、戦車、スーパーカーに姫路城…。天井まで積み上げられたプラモデルの箱、箱、箱。1960~80年代後半に少年期を過ごした成人男性にとって、模型店は一つの「夢の場所」だった。
 仙台市青葉区の「仙台模型」。創業は1971年。店の歴史は、昭和の少年たちの歩みと重なる。売れ筋はやはり、ガンダムやミニ四駆。「子どもの頃夢中になった30~40代の人たちが中心です」と話すのは佐藤仁作社長(74)。少年時代は買えなかった高価なパーツを購入して、メーカー主催のミニ四駆のレースに出る人も多いという。
 三菱ギャランGTOやいすゞベレットなど、昭和の車シリーズも好評だ。「同じスケールでミニカーなら1台何千円もするが、プラモだと800円。1台作ると何台もそろえたくなるんだよ」(佐藤社長)。
 客の大半は大人。小学生が一人も来ない日もあるというから寂しい。子どもたちの人気はゲーム。プラモは組み立て説明書を読まないといけない点が敬遠されているという。「説明書を読むだけでも、漢字や読みの勉強になると思うんだけどねえ」と嘆く。
 最近、脳梗塞で倒れた夫のリハビリ用に、木製の帆船模型を購入していった女性がいたという。劣勢のプラモにも意外なところにニーズがありそうだ。