東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が、市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第6回口頭弁論が12日、仙台高裁であり、2010年度に市教委学校教育課長だった山田元郎氏(62)ら2人が証人出廷した。学校運営を指導監督した山田氏は、各校が提出した危機管理マニュアルについて「内容を確認したり、見直しを求めたりすることはなかった」と証言した。
 山田氏は10年4月に就任し、定例校長会議などで校長や教頭らにマニュアルの整備・運用を指示していた。マニュアルは教育計画に組み込む形で年度初めに提出されたが、「各校の規模や立地など実情に応じて作成できていると思い、中身はチェックしなかった」と述べた。
 防災体制の向上を図る研修会なども繰り返し開き、内容を教職員間で共有するよう指導したと主張しつつ、実践されているかどうかは「確認していなかった」と明かした。
 裁判官が震災前の津波ハザードマップを示し、大川小の通学地域が津波浸水予想区域に含まれている点に触れ、「災害時の児童引き渡し手順がマニュアルに書かれていないが、津波と無関係な学校ではない」と念押しする場面もあった。
 大川小から北上川沿いに約1.4キロ上流にある大川中に10~12年度在籍した元教頭の男性(54)は、10年度のマニュアルを復元したものに「津波の危険があるので校舎3階へ避難」と記載した。
 原本や電子データが津波で流失したため、元教頭が11年9月に記憶をたどって復元したマニュアルを基に、震災前に津波の認識があったかどうかを尋問した。
 元教頭は「(元々の)作成当時、大雨や台風、津波で川が氾濫することは想定していた」と説明。津波で川が氾濫した場合、「校舎1階までは津波が来るイメージがあった」との認識を示した。
 10年4月に赴任した際、マニュアルに津波の記載はなく、「当時は宮城県沖地震の話や(市教委から)マニュアルを作るよう指導されており、『まずい』と思った」と振り返った。
 尋問は11月14日もあり、震災当時に大川小校長だった柏葉照幸氏と市教委幹部の2人が証言する。