山形市消防本部が2011年、119番を受けながら救急車を出動させず、山形大理学部2年大久保祐映(ゆうは)さん=当時(19)=が死亡した問題は、大久保さんの遺体が山形市内の自宅アパートで発見されてから9日で6年となった。「この時期が1年で一番つらい」。埼玉県熊谷市に住む大久保さんの母親は河北新報社の取材に声を詰まらせながら、七回忌を迎えた心境を語った。

 「無断欠勤などしたことがない大久保さんが仕事を休んだ。連絡もつかない」
 かかってきた電話は、大久保さんのアルバイト先である大学図書館の職員からだった。職場で受けた母親は、アパートの大家に電話し安否確認を依頼。飛び乗った新幹線の車内で、息子の遺体発見の連絡を受けた。あの日から6年がたつ。
 「なぜ救急車は来てくれなかったのか」。ずっと悔しさを抱えて生きてきた。
 「最善の手だてを尽くして亡くなったわけではない。どんなに苦しい中、息を引き取ったのか」
 遺体発見の9日前、大久保さんが救急車を要請した際の録音が最期の肉声として残された。「6年が過ぎても、このテープは聞けない。胸が張り裂けそうになって…」と母親は言う。
 大久保さんの呼吸は苦しげで、言葉も途切れがち。それでも消防職員は「救急車じゃなくて、タクシーとかで行きますか?」と問い掛けていた。
 音声は山形市などに損害賠償を求めた訴訟の証拠としても公開され、多くの市民が消防の対応を疑問視するきっかけになった。
 訴訟に関連し、市に真相究明と救急業務の改善を求める署名運動も広がった。
 母親は今年7月、運動を応援してくれた山形市の女性と埼玉県内で偶然再会し、「祐映君は山形の救世主よ」と言われた。市の救命救急の変化を、市民も実感しているとのことだった。
 思わず涙があふれた。
 「もう二度と祐映と同じ犠牲を出してはいけない。そのためにも、忘れないでほしい」