◎3・11大震災/福島・富岡町で営農再開 渡辺伸さん=いわき市

 空が青くて高い。黄金色に輝く稲穂の海を進む。コンバインの振動が懐かしく心地いい。
 「秋はやっぱりこうじゃないと」。出来秋の喜びが体に染み渡る。渡辺伸さん(57)は10月初旬、福島県富岡町の田んぼで手応えを感じていた。

 東京電力福島第1原発事故後、いわき市で避難生活を送る。地元・富岡町の避難指示が今春、帰還困難区域を除き解除され、7年ぶりにコメ作りを再開した。
 手応え通りだった。60アールに作付けした県オリジナル米「天のつぶ」の収量は計3.6トン。多収量品種とはいえ、10アール当たり600キロを確保できた。全て1等米。放射性物質濃度検査もクリアし、農協に出荷した。
 本格的な営農と地域の農業再生へ。「将来に向けた希望が見えた」。安堵(あんど)と期待が膨らんでいる。
 コメ農家の5代目。コシヒカリを栽培していた田んぼは約10ヘクタールに上った。土作りに力を入れ、有機栽培にも取り組んだ。
 地域を引っ張る農家の立場は原発事故で大きく揺らぐ。全町避難を迫られ、いわき市の建設会社に就職。復旧作業に携わった。営農再開は遠のいた。
 代々受け継いだ肥沃(ひよく)な田んぼは一変した。除染によって表土が剥ぎ取られ、最大30センチの石が姿を見せた。
 雑木が生える休耕田とは異なる「もう一つの荒廃」を目の当たりにし、一つの思いがむくっと芽生えてきた。
 「守り抜かれてきた農地をこのまま荒れさせるわけにはいかない」「俺のなりわいは、やっぱり農業だ」
 昨年7月、きっぱりと建設会社を退職。いわきから富岡に通い、手作業で石を拾い続けた。

 畑がちゃんと水田になるよう、通常は2回程度の代かきを10回以上繰り返した。やっとのことで田植えにこぎ着けた苦難の再スタート1年目は、農業再生の課題を浮き彫りにした。
 石の除去をはじめとする田んぼ再生や増えたイノシシ対策など、立ちはだかる壁が次々明らかに。イノシシ対策では周囲に電気柵を張り巡らせたが、いなくなる気配はない。わなには体長1メートル超がかかったこともある。
 今年、町内で作付けしたのは自身を含め3農家と1組合だけ。耕作面積は5.4ヘクタールにとどまる。
 「もっと多くの人たちに営農を再開してほしい」。そのためには田んぼの再整備が欠かせない。国に対応を求めたが、なかなか動いてくれず悔しさが募る。
 ただ、頼ってばかりはいられない。現在、仲間2人と組合の設立準備中。来年は作付けを2~3ヘクタールに広げ、採算性や効率を高める直播の導入も考えている。
 「豊かな田園風景を取り戻したい」「今後も努力を重ねたい」。地域を一から耕す「開拓の志」が、富岡の農地に根を張ろうとしている。(郡山支局・岩崎かおり)