東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が、市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第7回口頭弁論が14日、仙台高裁であり、震災時の校長で一審仙台地裁でも証人出廷した柏葉照幸氏(64)ら2人の尋問を実施した。柏葉氏は津波が校舎近くの北上川を遡上(そじょう)して堤防を越える可能性について「(震災2日前の)地震で考えたことがあった」と明らかにした。
 柏葉氏は2009年4月に着任。10年度に大川小の危機管理マニュアルを改訂して「津波」の文言を盛り込んだ。
 11年2月に市河北総合支所の職員に津波が高さ約5メートルの堤防を越える可能性を尋ねた際、「計算上は越えないと言われた」と証言。ただ、震度5弱の地震があった同3月9日には「(津波が)堤防を越えることを考えた」と述べた。
 マニュアルは避難場所を「近隣の空き地・公園等」と記すにとどめ、具体的な場所を定めていなかったが、市教委から指導や指示は「(一度も)なかった」と指摘。「(裏山や校舎2階への避難を)選択肢の一つに考えていたが、大川小は津波避難場所に指定されており、本当に津波が来るとは思っていなかった」と強調した。
 災害時の児童の引き渡しに関し、保護者と事前に方法を申し合わせる「児童カード」を作成していなかったとし、「(マニュアルを)詳しく見ていなかった。私の落ち度だ」と認めた。大川小の一部学区が津波浸水予想区域に含まれる点も「職員の間で議論したことはなかった」と述べた。
 08~09年度に市教委教育総務課の課長補佐だった男性(62)は、マニュアルの参考例作りに関与。当時の認識を「各校のマニュアルは内容として不十分なものもあった」と語る一方、マニュアルの具体的な問題点は「掘り下げての検討はしていなかった。各校から提出された段階で実情に応じて適切に作られていると思っていた」と証言した。
 高裁は20日に非公開の進行協議期日を指定した。今後の審理日程などが話し合われるとみられる。