アテネ五輪(2004年)競泳男子で二つの銅メダルに輝いた森田智己さん(33)=富谷市出身=が4月から、米沢市のスポーツクラブ「ジャンプ」の社員として指導に当たっている。2大会連続となる北京五輪(08年)への出場を果たした後、24歳で現役を引退。柔道整復師として開院を目指した時期もあったが、「自分の経験を広く伝えたい」と、指導者として再び東北のプールに戻ってきた。
 5日夕、1時間ほどの水泳教室。小学生の男児2人を指導する森田さんの表情は明るい。
 「まだ始まったばかりですが、楽しくやれています」。レッスンを終え、はしゃぎ回る子どもたちに、顔がほころぶ。
 北京五輪の後、現役を引退した森田さんは、日大を卒業して所属先のセントラルスポーツに勤務。仕事の傍ら、東京の柔整師専門学校への入学準備を終えた頃に東日本大震災が起きた。
 富谷市の実家は被害を免れたものの、被災地の惨状には胸が痛み、自分の無力さに歯がゆさを感じながら専門学校に通ったという。
 資格取得後は同社から出向する形で、千葉県柏市の整形外科医院で実務経験を重ねていた。今回、知人から指導者の仕事を紹介され、改めて「水の中が一番自分にとって力を発揮できる場所」と考え、水泳の世界に戻ることを決めた。
 米沢は水泳が盛んな土地柄ではないが、「まずは一人一人の目標や夢を実現できるように全力でサポートする」と足元を見つめる。
 「こういう形で東北に戻ってきたのは何かの縁」と森田さん。「自分の経験と力が米沢、山形、ひいては東北の水泳、スポーツの発展に役に立つのであれば何でもやりたい」と意気込んでいる。