太平洋戦争末期の1945年6月30日、秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山で、強制連行された中国人986人の大半が過酷な労働と虐待に耐えかねて蜂起した「花岡事件」。419人もの犠牲者を出した事件を長年調べ続けた。
 秋田県藤里町出身。中学卒業後、出稼ぎを経て国有林の作業員に。休日に近隣の村や鉱山などを歩き、話を聞いてメモに書きためた。27歳だった62年、花岡鉱山で事件のことを知った。
 事件当時、野添さんは国民学校の5年生。ある日、山奥に逃げて捕まった中国人2人に教師の指示で砂やつばをかけた。事件に触れてその時の記憶がよみがえり、2人が花岡鉱山から逃げたと知って体が震えるような衝撃を受けた。「自分も加担していた」との思いが、調査を進める原動力になった。
 しかし、地元の反応は厳しかった。「いかにも迷惑と言いたげに、わたしを睨(にら)み返した人たちの冷たい眼の色を、わたしはいまでもはっきりと思い浮かべることができる」(『花岡事件の人たち-中国人強制連行の記録』)
 「誰もが口を開かない中で丹念に聞き書きを続け、扉を開いたことが功績だ」。無明舎出版(秋田市)の安倍甲(はじめ)代表(68)は、こう評価する。
 68年の「出稼ぎ-少年伐採夫の記録」がデビュー作。作品は多分野に及ぶが、太平洋戦争を主題にした本が目を引く。花岡事件をはじめ、中国人と朝鮮人の強制連行について取材を重ね、負の歴史に向き合った。
 無明舎出版は、野添さんの著作を十数冊出版してきた。地方で原稿を書いて地方で出版するスタイルを、「野添さんと二人三脚で歩んだことが誇らしい」と安倍代表。秋田の地で活字の世界を共にした作家の死を悼んだ。(渡辺晋輔)