かつて「駅裏」と呼ばれたJR仙台駅東口の移り変わりを宮城大事業構想学群の佐々木秀之准教授(43)=地域資源論=が研究している。開業130年を迎えた仙台駅。駅裏を「仙台市の都市化に伴い、工場や軍隊、性風俗など、歴史的に『負』の部分を支えてきた」と位置付け、歴史の陰をあぶり出している。

 仙台駅は1887年に仙台停車場として開業した。当初内定した建設地は現在の仙台貨物ターミナル駅(宮城野区宮城野)付近。「駅裏は駅前になるはずだった」と佐々木准教授は言う。だが、宮城県などが「市街地から遠すぎる」と反対し、曲折を経て現在の位置に決まった。
 仙台駅は当時、中心市街地に近い西側にだけ玄関口を設けた。「駅裏」と呼ばれた東側は利便性が高い一方、広い土地の確保が容易だったため、住民から敬遠される施設が立地した。
 片倉組仙台製糸所をはじめ、工場が次々に進出。火葬場、食肉処理場、伝染病院などの施設が建った。陸軍第二師団歩兵第四連隊は1945年の終戦まで宮城野区榴岡を本拠とした。
 昭和初期には東八番丁(榴岡など)に売春地帯ができた。駅裏はほぼ戦災を免れ、終戦直後は駅北側の宮城野橋(X橋)付近で風紀の乱れが目立った。
 駅裏からの脱却が図られるのは60年代以降。一帯は土地区画整理事業が実施され、住宅や墓地などが移転を余儀なくされた。
 佐々木准教授は地元の宮城野中出身。「なぜ友人が住み慣れた地域を追い出されなければならないのか」と感じ、この疑問が研究に取り組むきっかけとなった。
 区画整理事業は半世紀もかけて終了。道路は拡幅され、マンションが林立する街に生まれ変わった。2005年には宮城球場(楽天生命パーク宮城)がプロ野球東北楽天の本拠地になり、イメージは向上した。広告代理店が06、07年に実施した「高級感のある町」のアンケートで東口は市内2位になった。15年には市地下鉄東西線が開業し、利便性はさらに高まった。
 近年、地域史への関心が高まっている。佐々木准教授は「歴史は連続しており、これに目をつむっていては、街づくりの将来を展望することはできない。長い間、あまり光が当たってこなかった東口の来歴を知ってほしい」と話す。