「20年前の難行苦行が思い出されます」。長野冬季五輪で一緒になった他社の友人の年賀状を読んで、取材の日々がよみがえった。
 会場になった白馬や志賀高原は宿舎のある長野市から50~60キロも先。出発はいつも日の出前で、辺りの家の軒先から長々とつららが伸びていた。
 撮影場所の陣取り合戦は激烈だった。数センチでもいい場所を占めたいのはカメラマンの本能。「ここはウチの社だ」「押すな」。狭っ苦しい所にじっとしていなければならなかった。天候が悪化して競技中断になれば、うずくまって待つ。
 そのうちにカメラのストラップは冷えすぎてバリバリに。雪やみぞれにさらされっ放しになり、まるで八甲田山の雪中行軍だと、独り苦笑した。
 とうとうシャッターを押す指先の感覚がなくなりそうに。これはまずいと、グー、パー、グー、パー。結んで開いてを繰り返した。
 平昌五輪たけなわ。同僚記者から、東北勢の活躍を撮った写真を送るという連絡がデスク席に届く。向こうはさぞ寒いだろうと思いつつ写真を待っていたら、知らぬ間にグー、パー、グー、パーをしていた。
(写真部次長 及川圭一)