彼岸にはまだ早い今月初旬、石巻市の墓園近くを通り、はっとした。山の斜面に並ぶ無数の墓を彩る花々。東日本大震災による同市の犠牲者は3000人を超す。3月11日を命日とする人の多さが、視覚に強く迫ってきた。
 広大な防災集団移転団地、連なる災害公営住宅群は異常な被災の現実を物語る。その中の一軒を訪ねた。「家を失っただけの自分は本当に恵まれています」。肉親を失った隣人を思いやる高齢男性の言葉は温かく、切なかった。
 津波で子ども3人を失った両親と話す機会があった。自宅の跡地には3体の地蔵と、震災後に父親が作った「虹の架け橋」と呼ぶ大きな木製遊具があった。3.11はどんな日なのだろう。「悲しい場面を思い出してもいい日。泣いてもいい日なんだと思っています」。父親は穏やかに話した。
 その日は冷たい雨の中、追悼式典や慰霊行事が各地で繰り広げられた。キャンドルをともす宵闇のイベントは開催が難しいと考えた頃、すっと雨が上がり、大きな虹がかかった。遺族の胸中に去来する言葉を想像した。震災の風化なんてあり得ないと思った。
(石巻総局長 今里直樹)