伊達政宗を初代とする仙台藩主は、幕末までに13人を数える。繊細で清廉な印象を放っているのは、5代吉村だろう。1703(元禄16)年に藩主となって待ち受けていたのは、伊達騒動の後始末と交際費がかさんだことなどによる財政難。吉村のケチケチ作戦が始まった。

 「一つ、書状に使う紙、墨、筆を節約せよ。ちょっとした用件なら口頭で」。何かこれ、現代で言うとA4判コピーを表裏両面に印刷するとか、会社がペーパーレスを奨励するのと似ている。

 「一つ、服装は質素に。木綿の着用が望ましい。江戸詰の藩士については、他諸侯に見劣りせぬよう絹織物でも可」。東京出張や大事な会議の時だけ、取って置きの背広を着ていくようなものか。

 手を尽くして財政黒字にし、「中興の英主」とうたわれる。幼少期は恵まれず、傍系の宮床伊達氏(宮城県大和町)に身を置く。訳あって仙台城の主にかつがれ、和歌や絵画の腕前は群を抜いた。

 政宗らと色合いは違うけれど、観光PR集団・伊達武将隊に加えてはどうだろう。意外と人気者になるかも。