ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんの本には、旅心をくすぐる書名が多い。『湯けむり行脚』『雲は旅人のように』…。横手市や酒田市、登米市、各地の温泉など東北もよく歩いている。

 達意の文章に誘われて、ふらりと足跡をたどった経験が何度かある。その池内さんの訃報がこのほど届いた。78歳だった。エッセーににじむ肩肘の張らない生き方にファンが多かった。

 教授だった東京大を55歳であっさり辞め、目標を三つ立てる。「カフカの小説全訳、モノを持たない生活、山登り」。スマホもパソコンも自家用車も持たず、多彩な著作を生み出した。

 リタイアした後は、どうしても単調な日常になりがちだ。感性が鈍る。そこで池内さんは、4年ごとに新しいことに挑んだ。デッサン、ギター、将棋、歌舞伎の鑑賞…と挑戦は続いた。

 老いは誰しも初の体験で、新しい発見がある。70歳の時、自分の観察手帳を作り、77歳で亡くなるのを前提にやりたいことを考えた。未知の世界を探訪し続ける。そんな旅人のような人生だった。