ピンチの後にはチャンスあり-。昔から野球のセオリーは、苦境の時におまじないのように人を励ます。

 時計の針を戻せば、日本で野球人気が高まったのは100年前の1920(大正9)年。スペイン風邪の脅威がピークを過ぎた頃だった。ひとまずピンチを乗り越え、大人も子供も心弾ませてボールを追い掛けたのだろうか。

 国内初のプロ野球チーム「日本運動協会」(東京)が誕生し、東北大に硬式野球部が創設されたのも同じ1920年のこと。「伊達なユニホーム姿」の選手は憧れの的になり、仙台市内の路地裏や空き地では多くの市民がキャッチボールに熱中したという。

 「職人さんや番頭さんもボールを投げ合い、たびたび近所の窓ガラスを割るので私服警察が取り締まったそうです」。宮城県の野球史を発掘しているライターの伊藤正浩さん(47)=泉区=が話す。

 1世紀後の今、早く野球を楽しみたい人も少なくないだろうが、もうしばらく我慢しよう。焦らずに「待て!」も野球の伝統的な戦術だから。