仙台湾に突き出た岬にトンネルが残る。宮城県七ケ浜町花渕浜。かつてここに工事用の軌道が通っていたことを知る人は少ない。明治期の野蒜築港がついえた後、宮城県が花渕浜に本格的な商港を築こうとしたことも同様に▼築港を提言したのは、国内最初の工学博士、古市公威。1899年、当時の土木工学の権威は物資集散の利便性や外洋の航路に近いことを理由に商港の第1候補地に花渕浜を挙げた。岩切駅までの鉄道敷設も提案した▼七ケ浜町誌によると、1919年に防波堤建設工事に着手。採石場から石を機関車で運び、海に投げ入れた。144メートルまで進んだが、度重なる暴風雨と高波で石が流され、23年に工事は中止された▼宮城、東北の発展に寄与するはずだった開発計画。自然災害に悩まされた揚げ句、工事の断念を余儀なくされた経緯は野蒜築港と重なる。住民はいま、土木遺産と言うべき岬のトンネルを「スゴウ」と呼ぶ。採石場から4カ所目の「4号トンネル」だったのだろう▼花渕浜は東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。復興工事が進んで防潮堤やホテル、レストランができ、町は背後地を商業・産業用地として再生させようと計画する。1世紀前の築港工事がこうした形で引き継がれようとは。歴史の皮肉を感じる。(2018.2.15)