「あの人は戦場から鎮魂の句を胸に帰った。だから伝統も世間も恐れず、堂々と生きて詠んだ」。同じ戦中派で句作をする知人は「太陽のようだった」と惜しむ。20日に98歳で逝った俳人金子兜太(とうた)さん。俳壇を超えて大きな存在だった▼<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>。1945年の敗戦を南太平洋トラック島で迎え、引き揚げ船での句。米軍の攻撃下、「自分は生き残り、戦友たちはやせ細って眠るように餓死していった」との体験が戦後の生き方を決めた▼約束事にとらわれぬ自由な表現で前衛俳句の旗手に。心に浮かぶ映像を詠んだ<湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン>(長崎での句)など衝撃作を世に出した。「生の思いを五七五でわしづかみにするのだ」。俳人高野ムツオさん(70)=多賀城市=は、学生時代に出合った金子さんの言葉を本紙『談(かたる)』で紹介した▼古里埼玉県秩父の民謡を子守歌に育ち、歌の五七五調が体に染みこんだという。秩父は古いオオカミ信仰で知られ、金子さんも「人間と自然が『生き物』として共生する世界」に回帰した▼<津波のあとに老女生きてあり死なぬ>。東日本大震災の報道に触れ、人間が忘れた自然への畏れ、そして「人間は簡単に死なないぞ」の思いを込めた句。生きる勇気を伝え続ける人だった。(2018.2.22)