防空頭巾をかぶった母親と2人の子どもに赤い炎が襲いかかる。背景には燃えさかる旧仙台市役所と仙台城大手門。子どもを抱えた母親の力強いまなざしが印象的だ。仙台市戦災復興記念館の常設展で、画家千葉勇作さんが戦後50年を機に描いた『鎮魂・仙台大空襲』にくぎ付けになった▼絵を見て、体験記を集めた『仙台空襲』(1973年)に載っていた41歳の主婦の手記を思い出した。爆撃から逃れるため、娘、息子と広瀬川の断崖近くの木の根元にすがりついたが、娘が爆風に飛ばされた。「お母さん」。張り裂けるような声を残して川に落ちた▼主婦は文章をこう結ぶ。「平和は取り戻せても、亡くなった娘は再びこの世でまみえることはできません。私の命のある限り、心の傷跡はぬぐうべくもありません」▼仙台空襲が起きたのは45年7月10日未明。市中心部は「B29」123機から無差別攻撃を受けた。焼夷(しょうい)弾の嵐。街は2時間で焼け野原になり、市民ら1400人が犠牲になった▼きのう空襲から73年を迎えた。語り部の活動をする新沼富寿子さん(81)=青葉区=は「自然災害は天災だが、戦争は人災。人間の手で防ぐことができる」と訴える。戦争の悲惨さ、過酷さ、理不尽さ。体験者から学び、次世代に伝えなければならない。(2018.7.11)